山形歩兵第三十二聯隊乃跡

戦跡・古戦場

令和6年(2024)7月7日(日) 山形駅前~山形城~豊烈神社~水野三郎右衛門元宣~山形聖ペテロ教会~山形県旧県会議事堂~山形県旧県庁舎~専称寺・駒姫説明板~市街史蹟~男山酒蔵

 山形城址内には、標題のとおり軍隊があったのだ。歴史を読むと何とも言えない気持ちになる。

【歩兵第32聯隊足跡の大要】
 聯隊は明治31年3月24日、宮中にて軍旗を拝受。最上義光公の居城であったこの地に誕生し、国防の一翼を担い、霞城聯隊とも称した。
日露戦争では、明治38年、緒戦の黒溝台会戦に抜群の勲を樹て、勇名を馳せた。
満州事変では、昭和7年、熱河作戦に参加し、万里の長城の古北口、南天門等の戦闘で活躍。12~19年の間、満州東部国境の防衛に任じた。
 大東亜戦争の戦況急迫に伴い、19年、聯隊は一個大隊をメレオン島に急派、主力は転進して沖縄防衛第32軍の指揮下に入った。昭和20年3月末から、沖縄本島は、圧倒的優勢な米陸海軍の猛攻を受け、各部隊は勇戦敢闘が、逐次壊滅、6月23日、軍司令官の自刃により組織的抵抗を終えた。
 しかし、我が聯隊だけは、軍旗を奉じ、残存250名が、沖縄南部の圀吉台とウテル原台一帯を死守した。8月末終戦の大命を知り、28日軍旗を奉焼し翌日聯隊は終焉を迎えた。
 ここに恒久平和を願い、聯隊創設以来の戦没者の遺徳を偲び、哀悼の誠を捧げる。 

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