善福寺川・大宮八幡宮

神社

平成23年(2011)8月6日(土) 荻窪~善福寺川~大宮八幡宮~永福町駅 13時頃~15時頃

 久々に2連休をいただけた。しかし、役所に定期を忘れてしまったので、取りに行きがてら都内のランニングコースを走ることに。
 丸ノ内線で、霞ヶ関から直通で荻窪に行ける。
 そこから、善福寺川を走る。しかし、暑いのと、寝不足なのと、トレーニング不足で体が非常に重い。それでも途中の公園で、基本、型少し、補強をやりました。
 荻窪駅前。善福寺川は一級河川。住宅街を走る。木が邪魔している。邪魔をしているのは人間か。

【大宮八幡宮】東京都杉並区大宮2-3-1
第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。今や大東京の重心「東京のへそ」として、神々の記憶と数々の日本の歴史へと誘う胎内回帰の出来る神秘的な場所とされております。

 帰りは京王線永福町駅から井の頭線で渋谷経由で帰りました。この混雑は渋谷。

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