大山街道(赤坂見附~溝の口)

大山街道

平成23年(2011)5月5日(金)

09:25 赤坂見附
10:15 渋谷
10:52 三軒茶屋
11:39 二子玉川
12:00 溝の口 
 昨日はゴールデンウイーク後半中日にもかかわらず、出勤してしかも、忙しく通常通りの状況だった。昨夜も終電間際で帰ってやけ酒を飲んでしまったため、今日も寝坊。しかし、午前中にまた時間を頂いたので、大山街道の旅を始めることに。しかし嫌なのは、東海道線でいつもの新橋経由で行かなければならないことだ。まあそれはおいておいて、新橋で地下鉄に乗り換えて、赤坂見附で降りる。道職員時代に北海道東京事務所があり、ここでよく飲んだものだ。

 紀伊和歌山徳川藩の屋敷跡。お堀の向こうに都道府県会館。

 赤坂御門跡。

【豊川稲荷東京別院】東京都港区元赤坂1-4-7
 豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺とよかわかくみょうごんじ」と称し山号を圓福山えんぷくざんとする曹洞宗そうとうしゅうの寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、 当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんです。
 豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんとは、昔、順徳天皇第三皇太子じゅんとくてんのうだいさんこうたいしである寒巖禅師かんがんせんじが感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。 豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんが稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公おおおかえちぜんのかみただすけこうが日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。
 明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。
 豊川稲荷を信仰した方としては、古くは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山など武将達から信仰を集めさらに江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。

 洒落たビル。東急エージェンシー。ソニーコンピューター。

 神宮外苑のイチョウ。表参道。

 渋谷子供の城の鯉のぼり。渋谷道玄坂を過ぎたところの大阪。

 池尻大橋の旧道。三軒茶屋の大山道碑。

 サザエさんの桜新町。二子玉川を過ぎて多摩川を渡る。

 バーベキューでも混雑、並んでいる。異常だ。川を渡って、川崎市に。大山街道の看板が見える。

 旧大山街道二子の渡し場入口。岡本太郎の奥さん、岡本かの子の作成した像。

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