平成23年(2011)6月18日(土)
0910 海老名
1038 愛甲石田
1145 伊勢原
今週は、またしても土日当番が復活。自分は日曜日の午前中。アー残念。しかし、今日の午前中は曇りの予報だ。気を取り直して、大山街道ランニングの旅の続きに。
今日は海老名市出発。アイフォンで経路検索を掛けると、横浜から相鉄線で行くことに。横浜からタッチの差で、急行に乗ることができたので、海老名に結構早めの9時につくことができた。海老名市街を望む。家庭菜園。相模川と厚木市街を望む。
厚木の古い市街地。厚木神社。
ソニーの工場街を通る。酒井という地名で右折しなければならないのだが、この道標が目印。しかしわかりずらかった。
愛甲石田駅近くの道標と庚申塔。
【小金塚古墳】伊勢原市高森字宮ノ越
歌川と玉川に挟まれた台地の先端部に立地する直径約48m・高さ約6mの円墳で、墳丘南側で幅約10m・深さ約2.5mの周溝が確認されている。墳頂部や周溝部で埴輪が出土しており、朝顔形埴輪は南関東で最古のものとされる。内部構造は未調査のため不明、墳頂部に建つ小金塚神社の社殿下に竪穴系の埋葬施設が存在するものと思われる。4世紀末頃の築造。
水田風景。夫婦の石碑。今の連ドラのおひさまに出てくるものと似ている。
粕屋下宿。普済寺の多宝塔。ここの江戸末期の住職が厚岸の国泰寺に行ったそうだ。当時の厚岸までの旅行期間は3ヶ月とのこと。凄い。
【高部屋神社】神奈川県伊勢原市下糟屋2202
延喜式神名帳にも掲載されている神社です。元宮が上粕屋地区の一ノ郷山中に鎮座しており、本社が置かれている下糟屋の飛び地となっています。この神社は、平安時代から鎌倉時代にかけて大山一帯を含む荘園である糟屋荘を支配していた糟屋氏のゆかりと伝えられています。
本殿は境内北側に建ち、正面の柱間が五間ある五間社流造(ごけんしゃながれづくり)という形式です。現在の本殿は関東大震災による倒壊後に建てられたものですが、倒壊前(正保4年、1647築)の旧本殿の漆塗りの残る扉など、主要な古材が数多く再利用されています。
本殿南側の拝殿及び幣殿は、江戸時代の慶応元年(1865)に、相模国梅沢(二宮町)の大工、杉崎周助政貴により建立されました。拝殿は入母屋造の茅葺で、正面の柱には龍が巻き付き、軒下には亀に出会う浦島太郎、その上には乙姫と竜宮城という珍しい彫刻が彫り出されています。
国道沿いに丸山城址がある。現在は公園となっていて、土塁などが残っている。
【丸山城址】神奈川県伊勢原市下糟屋
平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した鎌倉御家人糟屋左衛門尉有季の館と伝えられているが、発掘調査した結果、鎌倉時代の遺物の他に室町時代後半のかわらけや陶器なども出土したことから、上杉定正に関連する城館(糟屋館など)とも推定されている。丸山城は現在丸山城址公園として整備されている。周囲よりやや小高い丘に築かれた城で、最高所に広い主郭があり、西から北側にかけて帯曲輪が巡っている。主郭には北端や西に土塁が確認できる。
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