ドイツ人模範農家 コッホの住宅

説明板

令和6年(2024)8月4日(日)

 札幌から本別に戻る途中、清水町市街を抜けて国道274号線の南側を走っていると、標柱と説明板を見つけた。

くらしの情報
ドイツ人模範農家 コッホの住宅。北海道十勝清水町公式ホームページ。北海道・十勝平野の西部に位置し、「まちに気づく まちを築く とかち清水 ~想いをミライに繋ぐまち~」の実現を目指しています。

【ドイツ人模範農家 コッホの住宅】北海道清水町字下佐幌基線70
 1923年(大正12年)、北海道庁は甜菜を北海道畑作農業の主要作物とするため、甜菜を組み入れた農業の先進国から模範農業者を招いて、その農業経営の展示的役割と波及効果を期待し、寒地畑作経営の改善と農業者の技術の向上を目指しました。
 同年、在ドイツ日本大使館を通じてクライン・ヴァンツレーベン製糖会社と交渉し、同社の推薦により、フリードリッヒ・コッホが選はれ、10月に妻と4人の子どもの一行6人が明治製糖株式会社清水工場と北海道庁が共同で用意した字下佐幌基線70番地の住宅に住み、約10 ヘクタールの土地の耕作を始めました。コッホは小学校卒業後、地元の製糖会社の甜菜部に入り、ビート栽培技術者としての腕を磨き、会社でも高く評価されているところを、道庁から派遣された技師に見込まれて招聘されました。

コッホは当時43歳、第一次世界大戦に従軍し、頬と足を負傷し鉄十字章(ドイツで戦功のあった軍人に対して授与された勲章)を持っています。軍人色の強かった彼は、招聘を喜んで受け、妻ベルタ(43歳) と長男オットー(20歳)、 次男リヒャルト(18歳)、長女エレーナ(16歳)、次女へルタ(15歳) の6人家族で来日しました。
 コッホの出身地であるKlein Wanzlebenは、ドイツで最も古い製糖工場が、1838年に操業を開始するなど、サトウキビの繁殖と加工に密接に関連し、現在も全欧において非常に近代的な製糖工場、Nordzucker株式会社が拠点を置く「砂糖村」として知られています。村の総面積は、8.64km²。約1,660人の住民が住んでいます。(ヴァンツレーベン町公式サイトより)

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