御前水・旧板谷邸・旧寿原邸・水天宮(山)・経度天測標・小樽聖公会

その他遺跡

令和6年(2024)8月13日(火) 札幌市JR北海道バス手稲営業所~(国道5号)~御前水・板谷邸・寿原邸・水天宮(山)・経度天測標・小樽聖公会~小樽駅 24.3km 3時間32分

 札幌帰省中、北海道マラソンも控えており、少し長距離ランをしなければならないと考え、小樽まで走ることにする。ただ走るだけでは面白くないので、今回も史跡ランである。今日の目的地は、小樽市内の小高い山の上にある水天宮である。ここは、以下サイトに、元々アイヌのチャシコツの形をしていて、ストーンサークル上に石が並べられていたと言わており、これは走って訪問しようと発起。https://otaru.jpn.org/chasi
 家から走っていこうと思ったが、ちょうど手稲営業所行きのバスがあり、それに乗ってしまう。今日の出発地は手稲営業所である。
 走っていき、朝里に入ると御前水である。ここは何回もレポートしているが、改めてレポート。

【御前水】小樽市見晴町
 銭函小も過ぎた先の、国道337号線との分岐のちょっと手前に、「御膳水」という標識が掲げられた信号があります。御膳水宮(ごぜんすいぐう)という、御膳水の石碑や小さな井戸のような祠があった。石碑があり「車組むや 一滴の油 地にひらく」と刻まれていた。井戸のような祠の横の説明板には次のとおり書かれていた。「明治14年8月 明治天皇の北海道行幸にあたり、小樽港に御召艦を迎え小樽手宮桟橋に御上陸し、手宮駅から御召列車で札幌に向かわれた途中、「煤田開採係出張所」(現:小樽市見晴町285番地先)にて、御小憩された折り、当地の沢水を御飲料になりました。これを記念して、当地域を「御膳水地」として記念碑を建立し、今日に至っています。」

 張碓の峠、トンネルを過ぎて、朝里、小樽の市街地に走っていく。今日は台風くずれの熱帯低気圧が停滞しており雨予報であるが、雨は降らない。しかし蒸し暑い。小樽の港側から市街地に入っていく。

 水天宮がある丘に登っていくが、観光客であふれていた。途中、2つの旧家があった。

【旧板谷邸】小樽市東雲町1番19号 大正15年地区 (門のみ残る)
 この建物は、海運業などで財をなした板谷宮吉の邸宅でした。東雲町の高台にあり、現在は、和風の母屋とその北側に続く洋館、それに背面の石蔵が残されています。木造モルタル塗りの洋館には、銅板で葺いたマンサード屋根をのせ、堂々とした雰囲気を醸し出しています。

【旧寿原邸】小樽市花園2丁目12番1号
 この建物は、小樽を代表する実業家寿原家の邸宅です。創建者は、「小豆将軍」として著名な雑穀商高橋直治とされています。水天宮の北側、急な傾斜地に建てられ、主屋から上手に2つの接客棟を連ねています。庭園は、斜面を三段に地割りし、上段には和室に面して池を配した日本庭園があり、中段には洋間に六角雪見灯籠を配し、下段では小樽港を見下ろすことができます。

 旧寿原邸から坂の上のところに水天宮があった。高台にあり、木々の隙間から港や市街地がよく見える。アイヌのチャシであったとされるのもうなずける。

【水天宮】小樽市相生町3番1号
 安政6年(1859)の創祀と伝えられている。当社付近に鎮座していた文政11年(1828)創祀と伝えられる稲荷社が奉仕するものもないまま放置されていたのを畏れた付近の住民の請願により明治33年当社に合祀した。明治27年4月大風により社殿が破壊され同33年4月社殿を再建している。滋賀県出身者の故郷を偲ぶ強い心情により、大正8年社殿の改築を期して官幣大社多賀神社の御祭神である諾冉二尊を勧請増祀した。大正12年6月村社に昇格し同年7月神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和8年郷社に昇格し、昭和21年宗教法人となった。

 社殿の後ろの方に説明板があった。
【経度天測標と旧樺太日露国境中間標石】
 経度天測標は、明治二十六年(一八九三年)旧海軍水路部が水天宮山上での天文測量により設置した石柱であり、側面に「水路部」裏面には「明治二十六年十月」と刻まれています。日露戦争終結後明治三十八年(一九0五年)九月、ポーツマス条約で両国の国境が樺太(現サハリン)の北緯五0度に定められ、翌三十九年(一九0六年)六月から国境の画定作業が開始されました。その際、この経度天測標は、海馬島などの付属島しょの正確な経度を測定するための基準点として使われました。同年十一月十三日、日本郵船小樽支店(国指定重要文化財)で日露国境画定会議が開催され、北緯五0度線に天測境界標石四基、中間標石一七基の設置について協議し、明治四十年(一九0七年)一0月二日、国境画定作業を終えました。旧樺太日露国境中間標石(レプリカ)は国境画定作業の記念として、当初小樽公園内に置かれましたが、昭和六年(一九三一年)に水天宮境内の現在地に移設されました。〈後方、塀の内側をご覧下さい。〉小樽市

 水天宮から小樽駅に向かうため高台を降りると教会があった。

【小樽聖公会】小樽市東雲町10番5号
 小樽聖公会の最初の会堂は、明治28年、他の場所に建設されましたが、その後焼失し、この場所に再建されました。
 この建物は、水天宮の丘の中腹、急な石段の脇に小樽の町を見下ろすように建ち、木造下見板張り、切妻屋根に鐘撞堂をのせています。
 軒のレース飾り、星形模様のバラ窓、やや幅広の尖頭アーチ窓などが特徴です。
内部は正面祭壇がある簡素な矩形平面となっています。

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