佐呂間町若佐の開拓記念碑

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)8月17日(土) 常呂郡佐呂間町若狭地区

 佐呂間町市街地をあとにし本別町に戻る途中、若佐地区に石碑を見つけた。来るときにはわからなかった。当初は、佐呂間町市街地から若佐地区を往復ランニングしようと思ったが、それもありだった。まあいいか。

【開拓記念碑(80年)】
 大きな自然石とその横に黒い御影石で「開拓記念碑」と気残れていた。御影石の方には、開拓記念碑の下に「佐呂間町長 船木長一郎」と刻まれ、裏面には「風雪80年 先人の偉業を讃えて 昭和60年10月建立」と刻まれていた。下の方は土で汚れていた。実は自然石の裏の方に碑文がはめ込まれていた。「碑文 当地は、明治39年岐阜県より大野団体が若佐(武士)に入地、続いて青木農場が中武士に、近藤農場が藤の台に、湧別からの団体が下武士に入植し、茅葺きの粗末な着手小屋を建て、人跡未踏 昼なお暗き密林を熊や狐狸厳しい寒さと闘いながら、血と汗の滲む努力によって開かれました。入植者も逐次増え、翌40年には、子弟を集めて寺子屋式の教育を始めたのが学校の発祥であります。爾来80年幾多の辛酸を重ね、今日の豊かな大地と新しい生活文化を有する若佐が生まれました。ここに先人の偉業を顕彰し、心からの感謝を捧げ、これから伸び育つ若い芽が正しく健やかに成長し、次に大きく感謝して欲しい願いを込め、茲に開拓記念碑を建立いたします。」

 もう一つ新しめの石碑は開拓百年記念碑だ。

【開拓百年ふるさと】碑
「開基開校百周年記念の碑」、「開拓百年ふるさと」、「若佐の未来を創る」、「平成十七年十一月二十日建立」と刻まれている。裏面には校歌のほか、碑文があった。80年記念碑と重複するので、割愛。

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