桜土手古墳・弘法山

古墳・ストーンサークル・墓所

平成22年(2010)12月25日(土)
0943 渋沢駅
1024 桜土手古墳公園
1101 登山口
1115 弘法山
1130 お堂
1156 吾妻山
1205 鶴巻温泉

 今日も少し寝坊し、出発が遅れたので、近場の山に。また、関東古墳の本を買って、神奈川県で唯一整備されている秦野市の古墳公園と弘法山をセットで走ることにする。小田原で小田急線に乗り換えて、渋沢駅から工業団地方面に走る。大山と丹沢山系がよく見える。途中には大山道の石碑が。少し迷ったが、桜土手古墳公園に到着。

 円墳が複数個残されており、大きな一つは建設当時の姿になっている。資料館には土器などの発掘されたものが複数展示されていた。
【桜土手古墳】神奈川県秦野市堀山下380-3
 南北200メートル、東西500メートルの範囲で35基の古墳が分布する神奈川県内でも規模の大きい古墳群です。工場等建設の開発にともない23基の古墳の発掘調査が行われましたが、残り12基のうち6基が桜土手古墳公園内に、6基が隣接する工場に秦野市の史跡として保存されています。また、古墳公園内には、古墳群の中でも最大規模の1号墳が復元されています。各古墳は、最大径約28メートル~最小約8.5メートルの規模で、全て円墳です。古墳群の中でも規模の大きい1号墳や7号墳など20メートルを超える古墳は各古墳から離れた位置に構築されており、それよりも規模が小さいものは群集して分布しています。古墳群は全て横穴式石室と呼ばれる埋葬施設をもち、副葬品として、勾玉、耳環などの装飾品や直刀、須恵器などが出土しています。また、1号墳や7号墳では、墳丘構築に関連する遺構だと考えられている墳丘内に石垣状の石積があります。古墳群の時期は7世紀代を中心に6世紀末に建造されたものと推定。

古墳公園から川沿いを秦野市中心街に向かって下る。快適な川沿いの道だ。

 登山口から登るとあっという間に浅間山。稜線沿いを走るとまたあっという間に権現山。展望台からは大倭丹沢山系がよく見えた。頂上が雲で見えないが、富士山も見える。
 ここで、弘法山等の由来をネットから引用。

 浅間山、権現山、弘法山の3つの山を含む地域を弘法山公園といいます。
弘法山公園は、かながわの景勝50選、かながわの探鳥地50選、かながわの花の名所100選、関東の富士見百景に選ばれています。さらに弘法山公園・吾妻山コースというハイキングコースの一部でもあり、一年を通じてたくさんの人が訪れます。
 弘法山公園は桜の名所としても有名で、公園全体で2000本を越える桜があります。桜が花開くと馬場道は桜のトンネルとなり、山頂はピンク色に染まります。特に満開の時期の週末は、お花見の人々で賑わいます。
 他にも弘法大師の祭ってある釈迦堂、前田夕暮の歌碑、乳の井戸、鐘楼など見どころがたくさんあります。
【浅間山】
浅間山からの展望は素晴らしく、晴れていれば富士山や箱根の山々がきれいに見えます。富士山の見える山には浅間神社が祭られれ、浅間山といわれることが多く、弘法山公園の浅間山も同様の理由で、名づけられたと思われます。山頂にはその名残りの浅間神社の小さな祠があります。
【権現山】
権現山は別名「千畳敷」と呼ばれるほど山頂部分が広くなっています。
権現山の名前の由来は、山頂に権現堂があったために名づけられました。麓にある龍法寺の伝えによると権現山には白山妙理権現が祭られていたようです。
【弘法山】
弘法山は弘法大師が山頂で修行したことから名づけられたとの伝承があります。
この弘法山は麓の龍法寺と深い関わりがあるといわれます。龍法寺は戦国期に真言宗から曹洞宗に変わりましたが、鐘楼の下に続く沢を真言沢といい、その名残があります。

コメント