横浜道の道祖供養塔・鎌倉街道全線完成記念碑・春日神社

その他旧街道

平成22年(2010)9月12日(日) 横浜市栄区本郷台~春日神社~上大岡

 鎌倉街道を横浜方面に向かって、走ってみた。弘明寺の三殿台遺跡まで行こうと思ったが、暑くて、上大岡で断念。

【横浜道の道祖供養塔】横浜市栄区鍛冶ヶ谷二丁目
 説明板を転載。江戸時代には、鍛冶ヶ谷村の北側を通り日野村へ抜ける道が狭く迂回しており、また、度々用水路が溢れるため、文久元年(1861)、田畑を洪水から守り、交通の便を良くするため、道普請を行いました。完成時に道祖神を祭り、供養塔として建てられました。平面にはその経過が印されています。また、道標も兼ねており「弘明寺横浜道」と開港まもない横浜を示し、当時の鍛冶ヶ谷村の様子を知るうえで貴重な碑です。なお、この道祖供養塔の当初の位置は、鍛冶ヶ谷二丁目の一角に所在していましたが、平成18年12月に現在地に移設しました。平成19年3月 横浜市教育委員会

 その向かいに横浜道の鎌倉街道全線完成記念碑があった。
【鎌倉街道全線完成記念】
上記のとおり刻まれ、その横に「横浜鎌倉線」と刻まれて、あとは以下のとおり刻まれていた。「『いざ鎌倉』と諸国の武士がはせ参じた鎌倉時代。爾来、盛衰と変転の時を経て、ここに「21世紀の鎌倉街道」が完成し、今新たな道の歴史が始まる。平成18年10月吉日 横浜市道路局」

【春日神社】横浜市 港南区 日野中央2-9-3 
 春日神社は人皇第七三代堀河天皇の御代、康和元年、武蔵守藤原成実卿護持の霊像が誠に霊験あらたかであったので、春日神社を創設し、安置したのが始まりであり、祭神は藤原氏の先祖天児屋根命であります。
 康和元年といえば、西暦一〇九九年で、平成十八年現在、907年前であります。ご神体は当時の霊像が現存し、縦横二十糎位の一対の坐像で、素朴な木彫であるが、神々しい風格をそなえています。
 創設後は領守や武将の信仰が厚く、しばしば領地や金穀の寄附がありました。
 現社殿は、嘉永七年、時の地頭であった久世大和守源廣忠公の助を得て、名主高梨林右衛門氏が発起人となり、社殿の造営を起し、安政二年七月、今から一五一年前に完成をみたものであり、社殿は木造建築として、近郷にその比を見ない立派なものであり、社殿に付随する数々の彫刻は精巧を極めたものばかりで、誠に由緒ある神社であります。
 

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