開拓者集団上陸地(新ひだか町元静内)

発祥の地

令和6年(2024)9月16日(月・祝) 新ひだか町元静内

 東静内から少し東に移動し、元静内地区の国道から少し外れたところに稲田家が集団上陸した地の碑があった。

【開拓者集団上陸地】
静内郡の開拓を命ぜられた元徳島藩洲本城代家老稲田九郎兵衛邦植の家臣たちは汽船三艘で淡路洲本を出港し明治四年(一八七一年)五月二日この地に上陸した。

 この記念碑の左側に”映画「北の零年」の舞台 しずない 開拓への第一歩をしるした地”と題したパネルが建っているのだが、もう色褪せてしまってみずらいが、ホームページから転載。

【「北の零年」の舞台 しずない 開拓への第一歩をしるした地】
開拓者集団上陸地
 明治政府から静内・新冠両軍の支配を命じられた、阿波徳島藩の洲本城代家老稲田九郎兵衛邦植の旧家臣546人は、明治4年4月(1871)中ころ、大阪丸・大有丸・鍋焼丸の汽船3隻に分乗し洲本港を出港し、5月2日、静内沖に到着し今の元静内、まさにこの地に上陸した。当時の静内を海上から眺めると5月とはいえ、まだ冬の様子で緑の草や木の葉も見えず、寒ささえ感じられるほどであったといわれ、住む家さえもない不安さに、女の人や子どもたちは、砂浜につっ伏して泣き叫んだと伝えられている。石碑の全体は船の形を表し、船首の部分にあたるところには、直径15cmほどの丸い穴がくりぬかれているがこの穴から遠くはるかな淡路を眺めて、先人たちのはかりしれない苦労を偲び、その不屈のフロンティア精神を学びたい。
 映画「北の零年」では、志乃や多恵を含む稲田家の人々が半月もの船旅を経てやっと辿り着いた人々が、不安と希望をない交ぜに深い原野を見詰める印象的なシーンとして描かれている。

すべての夢はゼロから始まる
 明治という激動の時代にはたくさんの英雄たちが現れ、世に語り継がれてきた。しかし、あの時代を生きた侍のほとんどは新しい時代に馴染めず途方に暮れ、武士の魂を捨てきれずに生きていたのではないかと思う。
 この映画の主人公たちは豊かな淡路島から一転して荒涼とした北海道の大地に投げ出された。絶望を感じながらも、それを受難として受け入れて前に進むしかない運命を背負った名も無き侍。その侍たちの開拓をする様は、僕たちの撮影状況に似ていたかも知れない。北海道での撮影は天候が思うようにならず、畑や牧場まですべてを作らなくてはならなかった。つまり、理想を追い求めるよりも、それで起こることを受けとめながら進めざるを得なかった。しかし、撮影で起こった一つ一つが劇中の状況や心情とシンクロして面白い活劇になっていったと思う。
 僕はこの作品で、侍の誇りを捨てきれなくてしがみついた男の哀しみと、夢や希望を信じることだけで道を切り開いていった女の強さを描きたいと思った。先の見えない闇の中で見えない敵と戦っている侍たちと、それを支える妻たちの切ない姿は現代の日本人にも重なって見えるだろう。その哀しみの果てには、刀を捨て鍬を手にした勇敢な侍たちの姿があった。この映画が今の日本人の心に刺さってくれたら幸いである。  監 督 行 定 勲 平性17年4月 北の零年を応援する町民の会

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