幕別町古舞地区の石碑

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)9月28日(土) 中川郡幕別町古舞 

 中札内村に向かう途中、少し寄り道をして旧古舞小学校のところに行くと石碑があった。そこには遺跡の発掘調査の工事現場事務所があり、朝の打ち合わせをしていたので、少し待ってから写真を撮影する。三つの石碑があったが、逆光で碑文がよく読めないものもあった。

【健土愛郷】
 表面には上記のとおり刻まれ、その下に「幕別町長 林照男書」と添えられていた。
 裏面の碑文には次のとおり刻まれていた。数値は珍しく算用数字で刻まれていた。「碑文 1901年 この地に開拓の鍬がおろされ農業が芽生える 苦節幾星霜年輪を刻んだ歴史は開花し今や町内屈指の農業生産地帯としなる時代の変遷と共に農業基盤整備もお菊前進し更なる発展を希い 健全なる土つくり土地基盤整備は故郷を愛する心の原点であると位置づけ幾多の事業が導入されて凡そ百億近い国費がこの地域を潤し特に1900年代を締め括る 緊急畑地帯総合整備事業は地域内幹線農道整備を重点に(農道11737m、暗渠405.6ha、明渠3912m、その他20.5ha)等が施工されこれによって道路及び農地基盤整備は促進し 2000年に開基百年を迎える古舞の環境改善に華を添えた ここに緊急畑総事業の完成を機に礎を築かれた先駆者に感謝の鎮魂と二十一世紀を担う世代への遺産として記念碑を建立する 1997年12月」

【古舞開基百年之碑】
 自然石に上記のとおり刻まれ、その横に「幕別町長 岡田和夫書」と添えられていた。石碑の横に碑文の石があり、次のとおり刻まれていた。「古舞は別奴村上トベツ原野とよばれ明治34年通称二又の北海道国有未開地に香川県人大西大吉 富山県人石野由太郎 岐阜県人大野幸作 高橋忠太郎によって開拓の鍬が下ろされたことに始まる 先駆者は草木が生い茂り昼なお暗い密林に時折出没する熊におびえながら着手 小屋を建て巨木に鍬を振るい昼夜の別なく木を焼き一鍬一鍬に情熱をもやし畑地を拡げた その後入植者が年を追うごとに増え将来を託する子弟の教育が急務となり明治38年に古舞簡易教育所が間口五間奥行三間の草ぶき校舎で開校した 以来人馬一体となって働くもその年の食糧を確保することも容易でなくまた度重なる冷害・凶作に会いながらも開拓魂を奮い立たせその労苦は筆舌に尽くし難いものがある しかし変遷する歴史の中で楽土建設の地と汗の結晶は豊かな沃野とかえわり町内屈指の農業生産の宝庫として今日の隆盛を築き上げた ここに開拓百周年を迎え、先人の遺徳を偲び業績を讃えて21世紀に向けて和と創造を基に故郷古舞の永劫の隆盛を祈念し流汗を誓って之を建立する 平成12年12月吉日 古舞開基百年記念事業協賛会」

【温故知新】
 上記のとおり刻まれ、その下に「幕別町長 中島國男書」と添えられていた。裏面の碑文は次のとおり。「碑文 明治34年開拓の先駆者此の地を拓き 郷土を築く 苦節70年今日の隆昌を見る 茲に先人の労苦を偲び 記念碑を建立 その功績を永久に讃え 末永き繁栄への努力を誓うものである 昭和45年11月3日」

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