平成22年(2010)4月25日(日)藤沢駅13:00→大庭城公園13:50→湘南台14:40
休日恒例の、町並みランニング。今日は藤沢までJRで行って、大庭城公園を通って、湘南台まで走りました。
帰りは、横浜地下鉄ブルーラインで戸塚まで行ってまた、JRで帰りました。
【大庭城】神奈川県藤沢市大庭
(歴史)
平安時代に大庭御厨と呼ばれたこの地に鎌倉権五郎景正の血をひく大庭景宗が館を置いたのが大庭城の始まりと考えられているが、大庭氏の居館は別の場所という説もある。大庭氏は湘南一帯に勢力を増大させ、坂東平氏の中心的存在であった。保元・平治の乱では他の坂東武者同様に源氏に従っていたが、源頼朝が平氏打倒のために挙兵したときには兄の景義は頼朝に味方し、弟の景親は平氏に忠節を尽くして石橋山合戦で頼朝を破った。
源氏の勢力が優勢になると景義が大庭城に入るが、後に景義は懐島の領主となっている。頼朝の没後、大庭一族は和田義盛の乱で義盛に味方したために没落した。
やがて大庭城は三浦氏の領地となるが、室町時代になると上杉定正の支配下となり太田道灌が改修したといわれている。現在の主郭と南の郭が上杉氏時代の縄張であるとされる。戦国時代になると北条早雲が大庭城を攻略。以後は後北条氏の支城として拡張され、後北条氏滅亡と共に廃城となった。
(城郭ガイド)
大庭城は小田急江ノ島線の善行駅の西、引地川と小糸川の合流地点に築かれていた。城跡は大庭城址公園として整備されており、住宅地が広がる地域の中にあって遺構もよく残っている。どちらかといえば公園の南側に見所が多いような感じがする。
平安時代末期の大庭氏の館がここであったかは不明だが、おそらくこの丘のどこかに館が営まれ、後に上杉氏、後北条氏が手を加えたのだろうか。大庭城の南方1キロには「城(タテ)」と呼ばれる場所があり、三浦義村の居館に関連する場所ではないかとされる城址が存在していたが、鎌倉時代の大庭氏館がそちらにあったのかもしれない。現在、大庭城址として残る遺構は戦国時代のものだが、後北条氏の本拠地小田原から程近いこともあり、敵と隣接する最前線の城郭のような巧妙で複雑な感じは受けない。
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