令和6年(2024)10月12日(土) 石狩市厚田区古潭52−1
厚田から札幌に戻る途中、古潭地区の二つの石碑を訪問する。インターネットの他の情報によると、この辺にはチャシもあるようだ。今度、また再訪したい。
【厚田村發祥之地】
表面には上記のとおり刻まれ、裏面には「昭和四十三年建立 厚田村」とだけ刻まれていた。
【弁財船当錨地】
楕円の自然石に上記のとおり刻まれていた。その横に金属の説明板があった。「安政5年、ここ古潭の地に和人が初めて越年するようになってから漁場開拓が本格的に始まった。当時は陸上交通の手段がなかったため、春から秋にかけて大阪を出航し、瀬戸内海を経て日本海を北上する弁財船(北前船)が、本州と北海道を結ぶ交易船として唯一の交通手段であり、幕末から明治末期にかけて物流・文化交流など北海道沿岸の開拓に大きく貢献しております。古潭神社の下に見える押琴の入江は、南北を岩礁に囲まれた天然の良港として、当時弁財船が停泊し、運上屋も置かれたところであります。ニシン漁場として拓けた厚田村は、明治24年に5万石の水揚げが記録されており、厚田神社の境内に今も、その時の記念碑が建っております。五万石は、37,500トンで、約375億円の生産になります。そのニシンも今では幻の魚となりました。」
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