本別町開墾の碑

発祥の地

令和6年(2024)11月20日(水)北海道中川郡本別町向陽町

 仕事で街の中を走っていると本別町開墾の碑を見つけた。灯台下暗しである。

【本別町開墾の碑】
 黒御影石の正面には上記のとおり刻まれ、その下に「本別町長髙橋正夫」と添えられている。裏面には次のとおり刻まれていた。「わたしたちの愛するふるさと本別は、幾多の先人が厳しい自然と闘いながら、たくましい開拓精神をもって未開の地に鍬をふるい、切り開いてきたのである。昼なお暗いうっそうたる原始林は、今実りの大地とかわり、郷土の飛躍と発展が続いている。明治三十五年本別外五か村戸長役場が設置されてから百年という記念すべき年をむかえるにあたり先人の労苦に感謝と敬意をあらわすとともに、この尊い意思を受け継ぎ、輝かしい未来を自らの手で切り開いていくことを全町民の誓いとしてこの碑を建立する。平成十三年九月十五日 本別町長髙橋正夫」

【篠原相松君之碑】
 上記碑の隣にあるが、上部の石が欠けている。以下にあるように空襲で被弾したのか。その横に碑の由来があった。「篠原相松翁は本町で最初に定着した開拓者で後進入植者の支援をし、建設期の社会に貢献した。その功績をたたえるために、大正七年新津徳松氏ら有志によって、法華寺裏山の斜面に建碑され、地域に崇められてきたが、昭和二十七年七月十五日の本別空襲で被弾倒壊し境内に転落し同寺によって保管されてきた。碑の左上部の欠損は戦災による傷痕である。町は開基八十年に碑を生前居宅のあったといわれるこのゆかりの地に移設し、平成十三年開町100年記念事業の「本別町開墾の碑」建立に合せ、改めて篠原相松翁の偉業と二度と悲惨な戦争を起こさない決意を風化させることなく、事実を後世に語り継ぐため修復しないで併置した。本別町」
 黒御影の石の本別町開墾の碑の後ろに小さい碑があった。「碑の由来 明治26年に本別に入地開墾して住居を定めた最初の和人、篠原相松之碑(明治36年7月7日に34歳で病死)を町開基80年記念として開墾ゆかりのこの地に移設建立した。昭和56年9月本別町」

 

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