札幌市東区 法国寺 地蔵堂
令和3年(2021)8月27日(金)15.0km 2時間10分
「歴史のあしあと」さんに掲載されている東区の法国寺の地蔵堂を走って訪問することにする。家からファイターズ通りを通り、北13条通りを東に少し行くと法国寺であった。
法国寺は明治15年開基で、浄土真宗本願寺派の古刹である。
境内にお邪魔すると銀杏の大木が出迎えてくれた。その後ろ側に目指す石造りの祠があり、その中にお地蔵様が安置されていた。
小祠の脇に建てられた石碑には「紀念碑」と刻まれており、台座の正面には「大正十年十月十八日 地蔵尊建立」と刻まれている。小祠のそばには、金属製の説明板が立てられていた。
【説明板の内容】
この地蔵尊の由来について
今は昔、明治末から大正にかけて、札幌村大字苗穂村北栄部落(現在の伏古十一条二丁目、三丁目一帯)の付近は伏古川の支流の小川が流れ川邊にはタモの木が密生して寂しい場所でもあり、村人がこの付近を通るたびに心淋しい思いをしていた。又、馬橇道が吹雪に見まわれたとき何人かの村人が歩くが歩くがもとの所に戻り同じ道に出てしまう。誰言うともなくお化けが出たとか狐さまに化かされたとかの噂が広がった。
こんな時、土地の有志が相計り地蔵尊を建てようと議が起こり、浄財を出し合い豊平の山崎石工に依頼をして北栄部落の丁字路の一角に安置した。その時法国寺住職に入魂勤行を頂き、それ以後は道に迷う事も無く村人は安寧な生活を営む事が出来る様になり毎年七月には祭事法要を縁深い法国寺様に勤行をお願い営んできた。
又、当日は賑やかな芝居など余興が行われ、村人の娯楽の機会でもあった。
地蔵尊を、じいっと見つめると、なんと安らかな、穏やかな顔のお地蔵さんだろうと言われながらの八十有余年とその歴史には尊いもの有り、その間地域や生活環境の変化に伴い、入魂時からの縁と法国寺様の深いご理解により此の地に遷座し安寧の地を見つける事が出来た。平成十五年八月二十一日
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