令和7年(2025)3月22日(土) ホープ札幌教会 斎藤牧師
ルターやアウグスチヌスが言っているように、主の祈り以上のものはない。聖人は祈りに時間をかけていた。イエス様がこう祈りなさいと言っている。
マタイの福音書6章
9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦ます。
13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
マルコの福音書1:35
さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
私たちは、何をどのように祈るか。ヨハネの福音書17章に含まれている。私たちが通常考えてる祈り方は困りごとを解決してくださいなど自己中心的なものとして刷り込まれている。それをイエス様は180度変えて御名が聖なるものとした。
そして、最初に「天にいます私たちの父よ」と呼びかけから始める。完璧なイエス様が、その父に呼び掛ける。主を恐れて祈る。イエス様が模範を示してくれた。
へブル人への手紙4:13
神の御前で隠れあらわでない被造物はありません。、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。
エペソ人への手紙3:20
どうか私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことができる方に
箴言1:7
主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。
賛美して祈ることは、三つであるが、自分を横において、神の栄光を記すことを祈る。
①御名が聖なるものとされますように。
②御国が来ますように。
③みこころが天で行われるように地でも行われますように。
ヨハネの福音書4:17
わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現わしました。
ヨハネの福音書7:18
自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。
神の御名を証明するために、私たちの生きざまがある。聖書の勉強だけでは駄目である。
御国を来ますようにという意味。残念ながらこの世はキリストの支配下ではなく、サタンの支配下、競争社会にある。この世を悪の支配下にしないこと。
父を崇め、自分を高め、聖霊を働かせると、全てが解決する。
そして、日ごとの糧を与えてくださり、私たちの負い目を許してくださる。霊・精神・肉体セット。
オールマイティな神は、祈りに来る人との関係性を保ちたいと考えている。
負い目、罪は消えないが、赦してくださる。
ヨハネの手紙第一1:8~9
もし自分には罪がないというなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちを全ての不義からきよめてくださいます。
神はアブラハムのように試練にあわせることもあるが、耐えられない試練は与えない。悪や人の心の弱さから救ってくれる。 神に全面的に頼って、神の栄光を現わすために祈る。
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