岩見沢市栗沢砺波地区の史跡(その1)

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)5月5日(月祝) 岩見沢市栗沢支所~くじら山53m~道道817号線~クラインガルテン~由良地区~耕成地区~砺波(となみ)~スタート地点 約21km 3時間

 由良地区から国道234号線を横断し、農道を南西方向に向かって走る。交差点の手前に砺波揚水機創設記念碑があった。円型と四角の二つがあったが、よく読み取れなかった。揚水機創設だから、多分由良地区と同様だろうと思い、レポートは省略させていただく。

 砺波神社の境内に土地改良の竣工記念碑が建立されていた。
【恒沃豊郷】
 石碑の正面には上記のとおり刻まれ、上の方に「道営土地改良総合整備事業砺波地区竣工記念碑」、下の方には「空知支庁長 清水邦昭 昭和六十三年季秋」と添えられていた。裏面には碑文があり、経緯と事業概要が刻まれていた。以下概要のみ記す。大正二年に造田。農業の選択的拡大、専業化、大型化が提唱される中、昭和42年度に農業構造改善事業、昭和46~47年度に道営圃場整備事業が相次いで実施され、圃場の大型化、農道、用排水路、暗渠排水等の施工により、大型農業機械の導入、稲作の一貫体系が確立され、農業近代化と生産の合理化による農業経営の安定化が図られた。
 以下は、よく読み取れなかったが、受益戸数62戸、事業は昭和58年度~昭和64年度に上記事業が実施された。

 同じく神社境内に紀念碑があった。
【紀念碑】
 上記のとおり刻まれ、その下に漢文で次のとおり刻まれていた。もうひとつあったが、何が刻まれているか、よくわからなかった。
本田幸彦君富山県砺波群廣瀬村坂本人集四右衛門長年家世農明治二十六年君興郷人謀為園移住本通
乃諸宮受空知郡栗澤村現在幌向原野五百四十町以五月一日同従者百八人是為砺波開墾地君為人質直面好義接人圭角故為衆所権服為始到此地榛奔翳会熊羆出没人多懐郷面君率先督励不縄困苦十五年如一日遂能也成其業矣其改修河添開墾道路流通溝洫興学校建社寺皆君之方也官婁褒賞之今也田地肥沃家膽給漠為一大楽土於是衆相謀曰吾僭事此事福固??昭代余澤新亦?本田君之力其功績豈可得誼乎哉乃為樹碑勤其事以?後人微余文鳴呼創業之難己??牛也亦不易也地尺為伝體者相集軽睦益勉其業不志当年之艱苦則?幾得遂?終乎明治四十一年三月湘香道人新居?撰 農学博士佐藤昌介題額 常本照憲書

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