剣豪櫛淵虚冲軒之碑

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)5月21日(水)東京都台東区不忍池

 不忍池の弁天堂のところに、標題の石碑があった。ここを訪問した後、新大久保まで走った。コリアタウンだった。

【幕末之剣豪剣豪櫛淵虚冲軒之碑】
 上記のとおり刻まれ、横には「上州利根郡月夜野町」と刻まれていた。近くに石碑があったが、字が小さくかすれて読み取れなかった。ネットによる情報は次のとおりである。

(石碑の裏)
 石碑裏面の内容は次のとおりである。「建碑幹事門人 山内宗馬安豊 山崎孫四郎紹平 櫛淵幸作盛従 今井吉兵衛昭甫 紀元二千六百年 昭和十五年十一月十・・」  

(櫛淵虚冲軒について)
 徳川一橋家剣術指南役の櫛淵碑は、上野公園不忍池の弁天堂の奥に建てられています。弁天堂の奥に置かれている碑は、石碑と標識柱からなっていて、石碑の文字は判別が困難な状態ですが、標識柱には、幕末剣豪櫛淵虚冲軒之碑の文字が読み取れます。櫛淵虚冲軒は、櫛淵彌兵衛宣根の号だそうです。
櫛淵彌兵衛は、神道一心流の創始者で、江戸・小川町に道場を開き、全盛期の門人は450名を越え、一橋徳川家に召し抱えられました。その後、一橋家剣術師範役を勤めたとのことです。現在の石碑は、門人や親類が、その業績を顕彰するため建てた石碑のようです。家柄が重視されていた平和な江戸時代末期において、町道場主が、徳川御三家の剣術指南役に昇進することは、極めて稀有なことだっのでしょう。想像するのも困難なことなのでしょう。

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