大町通りと松江豊寿の説明板

説明板

令和7年(2025)7月4日(金)福島県会津若松市

 本日の史跡だらけの会津若松市散策も終盤。大町通りから最後、会津中将の酒蔵など古い建物を撮影して宿に帰る。

【ここは武士の世の大町通り】
 説明板と違うが、ネットから次のとおり拝借。「郭内/米代一之丁にあった町を、蒲生氏郷公の町割りで大町口郭門より北の郭外区域に移転。当初は幅4間ほどの通りであったが、会津五街道の起点「札之辻」が設置されるなど、刀鍛冶、油屋、荒物屋、茶屋、絹布屋などの店が建ち並び、商業の中心地として賑わった。」

【街に歴史あり ~会津の先人たち~ 松江豊寿】
 1872年7月11日(明治5年6月6日)- 1956年(昭和31年)5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第9代若松市長。第一次世界大戦中に板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜を人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。映画『バルトの楽園』の主人公としても知られる。」

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