令和7年(2025)7月5日(土) 会津若松駅~鶴ヶ城~松平家墓所~飯森山(白虎隊自刃の地) 約10㎞
福島県立博物館の敷地内に幕末のジャンヌダルクと言われた新島八重像が建っていた。NHK連続ドラマ「八重の桜」で、綾瀬はるかが演じていた。概要はネットから転載させていただく。
【新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉】
弘化2年11月3日(1845年12月1日) – 昭和7年(1932年)6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の教育者、茶道家。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島 八重子と書かれる場合もある。勲等は勲六等宝冠章。皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物である。
弘化2年(1845年)会津藩(現在の会津若松市)で父・山本権八、母・佐久の間に生まれる。
嘉永6年(1853年)※黒船来航
慶應元年(1865年)川崎尚之助と結婚。のち戊辰戦争の最中に離縁。
慶應3年(1867年)※大政奉還
慶應4年(1868年)戊辰戦争
1月:鳥羽・伏見の戦い。兄・覚馬が薩長連合軍に捕らえられる。
4月:※奥羽越列藩同盟成立
8月:重要拠点である戸ノ口原にて同盟国が敗北。鶴ヶ城での籠城戦が始まる
9月:城外の一ノ堰(いちのせき)の戦いにて父・権八が戦死。会津藩が降伏
明治2年 (1869年)覚馬が京都府の顧問に就任。
明治4年 (1871年)覚馬を頼って、母・佐久、姪・峰と共に京都へ。
明治8年 (1875年)新島襄と婚約。同年、同志社英学校開校。
明治9年 (1876年)洗礼を受け、襄とクリスチャンの結婚式を行う(京都初)。襄32歳、八重30歳。
明治23年 (1890年)夫・襄が永眠。
明治23年 (1890年)日本赤十字社正社員になる。以後奉仕作業に勤しむ。
明治28年 (1895年)日清戦争の従軍記章を受け取る。
明治38年 (1905年)日露戦争で篤志看護婦として従軍。
昭和7年 (1932年)急性胆のう炎のため自宅で永眠。享年86歳。


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