松江豊寿碑等

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)7月5日(土) 会津若松駅~鶴ヶ城~松平家墓所~飯森山(白虎隊自刃の地) 約10㎞

 さらに東に進み、会津風雅堂(コンサートホール)のところに、松江豊寿の碑があった。めずらしくガラス張りの中に金箔の彫像と年譜が刻まれていた。繰り返しになるが、概要を転載する。

【松江豊寿】
 1872年7月11日(明治5年6月6日)- 1956年(昭和31年)5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第9代若松市長。第一次世界大戦中に板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜を人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。映画『バルトの楽園』の主人公としても知られる。

 松平家墓所に向かう途中、会津武家屋敷があった。結構高額で、おそらく復刻版の屋敷だろうと思われるので入館しなかった。そして松平家墓所の手前に、「松平容保」の説明板があった。

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