私についてきなさい

18ヨブ記

令和7年(2025)7月27日(日) メノナイト足寄教会 聖日礼拝 佐々木牧師

・マタイの福音書第4章12~16
 さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。 13そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。 14これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。15「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、16暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

 ここで出てくる光はイザヤ書9章で予見されている。
・イザヤ書9:1~2しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
 そしてこの光は、創世記1:1の主の光。17節で、イエスが宣教されたとき、光がもたらされた。

・マタイ4章18~22
 18さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。 19イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 20すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 21そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、 22すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。

 イエスは私についてきなさいと漁師の兄弟に言った。ほとんどの人は人生の目的なわからない。そこにイエス様が来られると人生が一変する。網を捨て、ようするに自分のものを一切捨て、イエス様を第一にしていく。

・マタイの福音書23~25
 23イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 24そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。 25こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。

 ここでガリラヤ宣教が始まる。人々は最初興味本位で最初は信用していなかったが、病気を癒すことによりイエス様がカリスマ的になった。当時、メシアはダビデのような力強い王を期待し、十字架の贖いを信じていなかった。旧約のヨブも信心深かったが、サタンにたぶらかされ、家族を失い、できものができてしまったが、最後の最後(ヨブ記42:5)で、神を耳で聞き、目で見るという神を知るに至った。

 人生において辛いこと、不条理なこともあるが、それを恵みとして、微動だに揺るがないイエス様への信仰により、限界を超えたところで希望に変る。

 

 

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