令和7年(2025)7月20日(日) せたな町北檜山区若松
久々に訪問したせたな町から八雲町に抜ける時に、若松地区を通る。以前、住んでいた時は気が付かなかったが、開拓記念碑があった。
一つ目は若松基幹集落センターのところに、開拓百年記念碑があった。
【わかまつ拓きて百年】
白い御影石の石碑に上記のとおり刻まれ、その下の黒御影石に次のとおり刻まれていた。「会津の人ら 移り来て 若松の原野に鍬を振り この地を拓きて百年に 四季の移りに色映えて 先人の遺徳 偲ぶがに 緑増しくる みおや松 遊楽の園より遠く望み見る 永久のしあわせ祈るごと 高くそびゆるユーラップ 湧き出でて沃野潤す太櫓川 益々栄ゆく郷よ新たなる世に 意志継ぎゆかむ 手を携えて さらなる発展を願い この碑を建てる 岩松開基百年実行委員会」


法覚寺の入りグルに若松開拓記念碑があった。35周年記念碑である。説明板から転載する。なお、2012年にせたな町に住んでいた時に走って訪問していたが、この説明板が転載していなかった。https://torushimohori.sakura.ne.jp/wp/120617wakamatsu/
【若松開拓記念碑】
この開拓の碑は明治29年福島県会津若松の有志八名が開拓当初、老樹古木欝蒼として天を覆い尚暗き北の大地に「開拓は百年の計なり。荒野転じて良田と為し狸棲化して人郷と成す」の志を持って挑戦し、死線を越えて奮斗した結果永遠の福祉の基を築き上げた記念として開拓25周年を記念して遊楽部園と名付けた法覚寺境内に建てられて。遊楽部園を「あふき見る 山のその名を このそのに うつすも高き 心なりけり 北原雅長」。又、この開拓記念碑は会津にて造られ、昭和9年6月9日快晴の中、1戸より一人づつと小学生、処女会員等総勢400名が東瀬棚駅より運び6月10日碑は建てられ、6月15日盛大に除幕式が催された。




コメント