アオシマナイ遺跡(小清水町)

城郭・チャシ

令和7年(2025)9月20日(土)小清水町役場~ジャガイモ街道の一本西側の農道~アオシマナイ遺跡・アオシマナイチャシ~浜小清水~ジャガイモ街道~小清水町役場 約23㎞ 3時間

 小清水町役場の銅像等でお腹いっぱいだが、今日の目的地である、アオシマナイ遺跡の方に走っていく。できるだけ同じ経路を走りたくないので、ジャガイモ街道の一本西側の農道を北上していく。畑の中なのでクマの心配もない。畑では馬鈴しょ収穫やプラウでの耕起がなされていた。斜里岳が綺麗に見える。
 約7㎞走るとアオシマナイ遺跡に到着した。ここにはチャシもある。

【アオシマナイ遺跡・アオシマナイチャシ】小清水町字浜小清水270 ※説明版より転載
 1967年に発見されたこの遺跡は、「アイ(矢)がオシマ(入った)イ(所)」というアイヌ語が語源とされている。1971年には、北海道教育委員会による測量調査が行われ、濠が2連に連なる典型的なチャシ(砦)であることが確認された、また、チャシ跡とその周辺に広範囲に貝塚が分布している大規模な遺跡であることが判明した。
 しかしながら、長期にわたる耕作の影響で貝塚部分はその多くを失ったが、故山谷忠男氏とその家族による長年にわたる協力により、チャシ全体を中心に遺跡が保存されてきた。
 その後、道路工事に伴い、1996年から2000年に実施された緊急発掘調査において二層の火山灰(駒ヶ岳C2=1696年噴火・樽前a=1739年噴火)に挟まれた状態で貝塚が確認されたことから、近世アイヌ期のものであることが判明した。
 一方では、下層から沼尻式土器や東釧路式・中茶路式土器を主体とした縄文時代早期の遺物とともに、長軸9メートルを超す大型住居を含めた竪穴式住居遺構や小竪穴などが出土している。
 また、遺跡の一部には、人為的に施された痕跡のあるエゾシカの頭骨が多数認めらえれたことから、「エゾシカ送りの場」としての性格も推測されている。小清水町教育委員会

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