斜里朱円周堤墓群・斜里農業発祥の地

古墳・ストーンサークル・墓所

令和7年(2025)10月4日(土) 道の駅しゃり~中斜里~道道827号線~斜里朱円周堤墓群に北上~国道224号線 22.9㎞ 3時間8分

 中斜里をあとにし、道道827号線を果てしなく東に走る。右手に斜里岳、前方には海別岳が大きく見え、更に左手前方には羅臼岳、知床硫黄山がよく見える。斜里朱円周堤墓群の南方の交差点で北上し海が近くなると墓群があった。

【斜里朱円周堤墓群:説明版】北海道斜里郡斜里町朱円西区東1線
 北海道指定史跡 斜里朱円周堤墓群 周堤墓は周囲に土塁をめぐらせた古代人の墳墓です。ヨーロッパやシベリア大陸に分布する大きな立石をめぐらした環状石籬(ストーンサークル)によく似ており、全国でも類例が少なく学術的に非常に高い遺跡です。
 斜里朱円周堤墓群は今から三千年ほど前の人々によって築かれた縄文文化後期の遺跡です。直径(外径)約三十一メートルものと同じく三十八メートルの円形のものが隣り合わせで存在し、その周堤のなかにいくつかの積石墳墓があります。積石墳墓は昭和二十三年、四年に河野広道らによって調査が行われ、ベニガラを敷きつめた墓杭底から土器、土版、土製耳飾、石棒、石斧、ヒスイなどの玉類、漆櫛残片、炭化した織物などの貴重な遺物が人骨とともに発見されました。平成二十三年に行われた調査では二基の周堤墓に構築法の違いがあることが判明したほか、人骨や歯の分析により壮年前半と熟年前半の女性と十歳前後の子供が埋葬されていたことが判明しました。
 土器は鉢形、徳利形、盃形など変化に富んだものが多く、栗沢式土器と命名されています。これらは東北地方のストーンサークルから出土する土器と非常によく似ており、遠い東北地方の文化の流れをくむものであることがわかります。

 朱円周堤墓群の西側、砂利道の人家のところに斜里農業発祥の碑があった。
【斜里農業発祥の地】北海道斜里郡斜里町朱円西
 自然石に黒御影石に上記のとおり刻まれている。基台に碑文があり次のとおり刻まれていた。「明治十年(西暦1877年)岩手県人鈴木養之の手によりこの地に初めて開拓の鍬がおろされた この偉業を斜里町開基100年を記念しこの碑を建立する 昭和五十三円八月 斜里町 鈴木養之孫 鈴木養司書」

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