下士幌越中渡船(越中渡し)跡

説明板

令和7年(2025)11月30日(日)約4㎞(約50分)

 河川敷に標記の説明版があった。

【下士幌越中渡船(越中渡し)跡】帯広市東10条北2丁目付近
 十勝・帯広の開拓初期には、渡船が重要な交通手段でした。この渡船場は、明治33(1900)年、官設として設置され、オベリベリ(現在の東10条北2丁目)付近とモッケナシ(現在の音更町字下士幌)付近を往復していました。その後、官設としては大正8(1919)年8月限りで廃止され、委託で富山県出身の新居氏が経営を始めました。当時は、帯広と音更を結ぶ重要な交通機関であり、人だけではなく、家畜、農作物、営農用具などを運んでいました。しかし、昭和16(1941)年に十勝大橋が完成するなど、渡船の利用者は減少を続け、昭和27(1952)年、その役割を終えました。

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