令和8年(2026)1月24日(土)音更町木野大通西3丁目
木野の市街地に戻ってきて、本日の最終目的地「千野発祥之地」を訪問する。この石碑はいつも車から見かけていたが、駐車するところがなくレポートができていなかった。本日はランニングなので、問題なく訪問できた。
【千野発祥之地】
縦長の黒御影石に上記のとおり刻まれ、「金子尚一書」と添えられている。裏面には次のとおり刻まれていた。「明治三十一年東京市出身千野儀正氏千野農場を開設する。当時は千野儀正、蓮佛常蔵、鷲見邦司三氏の共有地であった 管理人は蓮佛常蔵氏が就く 記念碑建立に当り現在の地権者蓮佛家より建設地の提供を受ける 木野二区町内会六十五周年記念事業協賛会有志一同建立 昭和五十九年十一月吉日」
説明版には次のとおり記されていた。
「明治三十一年(一八九八)、東京在住の千野儀正は河東郡下士幌、音更原野と河西郡帯広の土地を無償で払い下げを受けました。面積約190ha、南北は下音更北一線から北三線、東西は基線から東四号までの区域。農場は音更川と十勝川の合流点で、いく度となく洪水に襲われました。管理人の蓮佛常蔵は、小作農民の意見をよく聞いて対応していました。彼は、地域発展に尽し、住民の厚い信頼がありました。明治、大正、昭和にかけて、千野市街には百名規模の雑穀工場があって雑穀の町として繁栄しました。音更町教育委員会 平成二十五年十月」






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