富良野玉葱発祥之地

発祥の地

令和8年(2026)3月2日(月)富良野市下五区

 本日はお休みをいただき、札幌から十勝方面に抜けるのに富良野経由で走る。今日は富良野市の史跡を訪問することにする。市内のスーパーに車を停めて、富良野市の南方の富良野玉葱発祥の地を走って訪問することにする。
 その石碑は、玉葱の貯蔵庫が林立する少し南側の農家の一角に鎮座していた。

【富良野玉葱発祥之地】
 自然石に上記のとおり刻まれ、その下に「全農会長 太田寛一書」と添えられている。裏面には次のとおり由緒が刻まれていた。「由緒 山崎庄太郎翁明治廿九年富山県より渡道後丗九年この地に移住、翌明治四十年札幌より玉葱種子を取り寄せ、約一反歩試作し畦巾七寸過燐酸五貫を施し、九百六十貫を得たが一箱八十銭で十箱しか売れず残りを捨てたと云う。之が富良野玉葱栽培の嚆矢である。以後毎年一反歩頑なに作り続け病害虫価格暴落にも耐え此の地順感の種子固定に努め逐次栽培仲間も増加し大正十年には千四百貫余収穫する人あり当時米二反歩に比す有利作物と注目された。ついでに大正昭和戦前戦後を通じ病虫害干水害、肥料統制価格、不安定等の悪条件にも屈せず皆の耕作意欲は一層昂まり軈て昭和三十三年玉葱振興会創立当時面積六十町に達した。爾今技術向上、消流促進、共販共計目覚しく今や市内面積八百六十ha耕作者四百六十戸生産量四萬噸、全国に声価の高い富良野市基幹作物に躍進した。この地に玉葱導入以来正に七十余年、その間多くの先人が未踏の栽培技術に挑み未開の販路を拓いた血の滲む辛酸苦闘の尊い足跡あればこそである。茲に多くの先人え感謝の誠を捧げその功績を永く後世に伝えるため、玉葱振興会創立二十周年記念を期に、発祥縁りの地を卜し、玉葱の沃野拡がる空知川水系トナシベツ川産瑪璃質金山石にその由緒を銘刻して建立する 昭和五十二年十一月十八日 建立 富良野市玉葱振興会  撰文 富良野市長 髙松竹次 

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