嵐山・近文山・国見の碑

山登り

令和3年(2021)3月27日(土)

北方野草園(登山口)~嵐山~近文山~チセ跡~登山口

距離:5.4㎞、1時間38分

 開催の下、吉方北東の小さな旅、旭川の嵐山を再訪。今度はアイヌのチャシを訪問しようと思ったが、雪がまだ残っており断念し、嵐山近くの低山巡りに。
 北邦野草園の駐車場に車を停め、事務所でポールを借りて嵐山に登る。残雪がまだ残っており、ポールがあるとありがたい。しかし雪はしっかりと踏み固められており、トレランシューズでも埋まらない。20分ほどで嵐山山頂・展望台に到着。先日の訪問と違い快晴で、旭川市街はもとより、大雪山系や十勝岳連峰がくっきり見える。
 嵐山をあとにして、近文山に向かう。途中で、ご年配の方にお昼になり、気温が高く雪が腐り足が埋もれるので、近文山だけにして半面山はやめたほうがよいという。
 車道を走り、峠から近文山の方に歩いていく。尾根沿いをアップダウンすると、近文山山頂に到着した。ここも展望が広がり、国見の碑が設置されている。

【国見の碑】
 この碑は、明治18年8月司法大輔であった岩村通俊が、永山武四郎らとともに、この山に登り広大な上川原野を国見し、その豊かな原野を前に上川開発の重要性を認識し、ここを北の京とすべき議を内閣に送っている。この国見の碑は視察後、岩村自ら碑文を草し、明治19年に建立された。碑文は漢文なのでわかりずらく、ネットから訳を転載する。
「明治18年8月、岩村道俊、永山武四郎、長谷部辰連、佐藤秀顕等、おのおのその官事を以てこの山に登る、すなわち山河囲繞し、原野広大、実に天賦の富あり。多年大道、砥の如く都府すでに成らば、相ともにふたたび登り、杯を挙げて酣飲、以て今日を談ぜん、すなわち相謀って碑を建て、以てこれを後に 遺すという。」

 近文山で大満足して、峠の反対側の半面山の雪の踏み跡を辿ると、やはり雪でズボズボ埋まってしまい、引き返す。
 嵐山頂上から駐車場の反対側に、チセ跡の看板があるので行ってみると、ただの川沿いの林の中の平地だった。
 今度雪がないときに、チャシ跡や半面山などを訪れよう。

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