苗穂山農本神社等

旅ラン

札幌市東区 東苗穂「苗穂山農本神社、授爵記念碑」

 令和3年(2021)3月21日(土)20.2km 2時間41分
 家~琴似~新川~新琴似~栄町~東苗穂~栄町~
 
 「歴史のあしあと 札幌の碑」さんの碑めぐりで先週到達できなかった東苗穂11条2丁目の苗穂山農本神社と「授爵記念碑」を訪問。遠かったプラス、当該地の探索のため、住宅地内をウロウロして疲れた。帰りは栄町で断念し、地下鉄に乗ってしまった。

【苗穂山農本神社由来等】
1869年(明治 2年)創祀者の水森源五郎氏が、現在の本町1条1丁目法国寺の東側に入植する。
1883年(明治16年) 5月水森源五郎氏が小祠を建て、自家の守護神として金比羅稲荷を祀ったのが始まりとされる。
1933年(昭和 8年)有志者により改築。新たに大山祗神、木花咲耶姫神の御神霊を合祀し、「苗穂山神社」として祀られる。
1951年(昭和26年)農本倶楽部(現在「北のたまゆら東苗穂」がある辺り)の隣に建立。
1997年(平成 9年)付近の宅地造成に伴い、約50メートル離れた現在の場所に移転改築される。

【授爵記念碑】
 この碑は札幌農学校の第1期卒業生であり、その後身である北海道帝国大学初代総長となった、佐藤昌介の授爵を記念して建てられた「授爵記念」碑です。玉石を積んだ台座の上に台石が置かれ、さらにその上に角のない丸みを帯びた直方体の石碑が置かれており、碑面に「授爵記念」と大きく刻まれています。台座の周りには、四隅に小さな石柱が配置されて鉄棒の柵で囲まれており、その一部は破壊されたままになっていますが、石柱の一部には「○和友会」と刻まれているものがあります。碑面の左には、文字が風化して判然としませんが、「正三位勲二等農学博士南鷹次郎」の文字が刻まれています。かつて苗穂村には、佐藤昌介が開いた佐藤農場があり、米国の先進的な農業手法を取り入れた酪農混合型の農業を行って成功しました。「農本」とは、佐藤が提唱した「農業は人間生活の根本」という言葉から来たものだそうです。昭和3年、佐藤の数々の功績に対して男爵が授けられ、その翌年当時の小作人たちの手により、授爵一周年を祝ってこの記念碑が建てられましたが、昭和58年、佐藤農場ゆかりの人たちの手によって、現在地に再建されました。また、碑面に刻まれた南鷹次郎は、北大総長であった佐藤を補佐し、その後第2代総長を務めた人物です。正三位勲二等は佐藤の叙位受勲であり、この碑が「授爵された正三位勲二等農学博士の碑であることを南が記したもの」であるということを示しているのではないかと思われます。

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