甲州街道3

古墳・ストーンサークル・墓所

令和5年(2023)9月16日(土) 府中宿~日野宿~八王子宿 歩いた距離16.5km 4時間14分

宿場名前の宿場からの距離累計
江戸日本橋00
内藤新宿8.7km8.7km
下高井戸6.9km15.6km
上高井戸1.6km17.2km
布田五カ宿6.1km23.3km
府中7.6km30.9km
日野9.3km40.2km
八王子5.7km45.9km

 約11年振りに甲州街道を歩く旅を復活。前日の深夜に東京入りし、次の日早朝に起きて、前回の到着地「府中」に電車で移動し出発。駅から少し迷ったがスマホのお陰で、前回の終了地、高札場のところに到着(2、3)。前回無かった説明板が設置されていた。この現存する高札場は江戸末期の作だという。すぐに番場宿(4)、高安寺(5)を通る。高安寺には「野村瓜州乃墓」と「高林吉利の墓」(6)の説明板があった。片町(7)、弁慶坂(8)の碑(9)があった。10年前に比べて説明石碑が増えている。本宿(10、11)に入る。水田地帯であるが台地は水に乏しく火災に苦しんだ民は秋葉講で火伏せの儀式を行い常夜灯を設置したという。熊野神社(11~15)に来ると秋祭りの準備をしていた。ここは12年前に訪問していたが、ここの建造物は18世紀前半の建築だという。熊野神社の後ろは武蔵府熊野神社古墳だった(16-22)。飛鳥時代の上円下方墳という珍しい形で、埋葬された人物は東方の有力者だったろうと言われているが文献はないという。昔はなかった記念館が設置されていた。熊野神社から進むと獅子宿碑(21)、薬医門の旧家本田家(22、23)があった。ここは解体する模様で、残念である。谷保天満宮(25、26)は湯島天神、亀戸天神と並ぶ関東三天神の一つ、菅原道真の三男道武が父の像を祀ったのが始まりという。青柳地蔵堂(28)を通り立川市(29)に入る。旧道を少し歩くと日野の渡し(31~34)。モノレールが設置され(35)、渡ると馬頭観音(36)があった。日野宿佐藤家本陣跡は昔の旧家が残っており、ガイドさんと土方歳三の話で盛り上がった。親に早く死なれた土方歳三はここの家が実質的な成果だったそうだ(37~40)。日野自動車には一里塚の木が残っていて(42)、コニカミノルタの工場を過ぎると八王子に入った。八王子バイパスの前に日枝神社(43、44)があり、浅川(46)を渡る大和田橋には焼夷弾・弾痕が保存されていた(47、48)。太平洋戦争で米軍は日本の一般市民もターゲットにしていた。虐殺であり断じて許せない。浅川を渡り、竹鼻の一里塚(50)の隣は永福稲荷(51)で力士八光山権五郎の石像があった。この力士は江戸時代中期に活躍した八王子出身の力士で身長は191センチあったという。都会の八王子に入り、子安神社を遠くにお参りし(53)、宿に到着。

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