大樹町の史跡

廃線・廃駅

令和5年(2023)11月3日(金祝)

大樹町道の駅コスモール~市街地南側のパチンコ店跡~大樹駅跡~大樹神社 7.4km 1時間4分

 休日。南十勝と天馬街道を経由して門別競馬場のJBCを見に行くことにする。当初は広尾町を訪問予定だったが、少し遠いので大樹町の道の駅に車を停めて町内の史跡を走って訪問することにする。
 最初は市街地の南側約2kmのところのパチンコ店跡に石碑が見えたので走っていってみる。学校跡地だった。
【公立明道学校乃遺跡 北海道知事町村金五書】・・・裏面には同校の沿革が記されている。概略は「明治32年僧侶羽魔田良庵が寺子屋教育を始めたのが明道校の始まり。同34年校舎を新設、同35年小学校に指定、大正7年4月高等科を並置、地域教育の中心昭和7年大樹市街に移転。昭和43年9月15日建立」結構大事な石碑なのに、余り管理されていない。

 次に市街地に戻り、道の駅の横の大樹駅跡を訪問する。広い草原の中にホームと駅舎が残っているが、説明板等はない。寂しいものだ。

 そして、歴舟川を渡り、河岸段丘の上の大樹神社を訪問する。大樹神社は、兵庫県三原郡阿万村(現三原郡南淡町)から入植した西田円蔵他数名の人々が発起し、郷里の亀ヶ岡八幡神社より御分霊を勧請、現境内地に社殿を建て「大樹八幡神社」としたのが創祀だそうだ。お参りして境内を散策すると胸像や石像がたくさんあった。神社の社の隣には「敬神愛郷」の新しい石碑があったが、特に歴史的なことは刻まれていなかったので、割愛する。


【今村兼雄翁之像 北海道知事 町村金五書】・・・胸像の下に標題のとおり記載されている。裏面の説明板には次のとおり概略として刻まれている。「顕彰 明治30年8月静内町に生まれ12歳の時、両親と大気に移り、大正9年父の死去の後郵便局長となった。大正15年若干29歳で村会議員に当選。生涯にわたり、幾多の私財と労力を費やし、同志と世論を結集して行政的不利不便の緩和に取り組んだ。昭和42年病を得て障害を閉じた。死後正五位勲五等に叙せらた。」

【来海宇平翁之像】・・・胸像の像は、少し上目遣いで怖い。基台には「拓魂」と刻まれ、多くの協賛者が刻まれている。同氏を説明するものはなかった。ネットにもなかったので割愛する。

【開拓記念碑】・・・兄弟の横に開拓記念碑があった。「北海道庁長官 土岐嘉平書」と刻まれ、裏面に文字が刻まれていたが、判別できなかった。

 このほか、日露戦役忠魂碑や忠魂碑があった。神社を後にして、役場の北側が公園になっており、機関車が展示されていた。

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