令和5年(2023)11月26日(日)釧路市幸町12丁目1番
釧路市を散策ランニング中、幸町公園に寄ってみた。ここには鉄道関連の史跡が多い。あとで判明するが、この辺が昔の釧路駅だったようだ。最初に北海道鐡道記念塔を訪問する。この碑は4面あり、南面以外は何らかの文字が掘られている。
【北海道鐡道記念塔】
・北面:幌内手宮間開通 明治一十九年八月 岩見澤室蘭間開通 明治二十九年五月 北海道鐡道敷設法 明治三十一年七月 達旭川 明治三十八年七月 小樽函館間開通 明治四十年九月 旭川釧路間開通 大正五年五月 延長達壱千哩 元北海道庁鐡道部長京都帝国大學工科大學長 従三位勲二等工学博士 田邊朔郎識之
・東面:鐡道記念塔正三位勲一等工學博士田邊君所建也明治初北海道庁開拓使用力墾地又有鐡道然其所及不廣二十九年官領北海道鐡道敷設法以完経制於是工事始大君時奉職鐡道部長仙人経営乃稽地形謂東部鐡道宣以釧路為起点上司従君議今三十余年店線路延亘本支錯綜且不知其所窮面釧路則迄為大市街物貨所衆行旅所経万口殷富冠於他方君主倡之功也君巳去猶思其在任之時不止而於釧路尤其将自建塔於公園籍為記念予乃為題敷語以言市民思君亦猶君之於釧路也 昭和二年三月 釧路市長従四位勲五等岡本佃識
・西面:面文界山山本県之書丹左側田邊工學博士自記四面所嵌之石北謳諾威國産 背 右側
公園内には機関車もあった。説明板によると、概要はC58106号車で、シゴハチ(C58)の愛称で親しまれた蒸気機関車で昭和14年大阪で完成し、昭和18年3月釧路機関区に配置され、根室本線、釧網本線で活躍。昭和29年8月天皇・皇后両陛下の行幸啓でもお召列車を牽引。昭和47年引退し、当地に保存。
幸町公園の南側にも説明板があった。この地が昔の釧路駅だったそうだ。
【旧釧路停車場跡】・・釧路に鉄道が開通したのは明治34年(1901)7月20日のことで、釧路と隣町の白糠町を結ぶものであり、現在地周辺が駅構内であった・「さいはての駅に下り立ち雪あかり、さびしき町にあゆみ入りにき」と石川啄木がうたったのはこの駅である。大正6年(1917)に根室線(釧路・厚岸間)が開通したのにともない、駅は現在の釧路駅付近に移転。旧駅は、浜釧路駅と改称され貨物専用駅として釧路の発展を支えたが、操車場の新設により旧釧路停車場は姿を消した。
最後に釧路駅の動輪を撮影して、駐車している車に帰る。
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