令和4年(2022)12月10日(土)北海道大学(佐藤昌介像、北海道大学予科記念碑、遺跡保存庭園)約10㎞1時間20分
赤レンガ走友会の納会の前のランニング。北大の中でレポートしていない史跡を訪問する。北大南門のところに「佐藤昌介像」があった。
【佐藤昌介像】
札幌農学校第一期生としてクラーク博士の薫陶を受け、後に同校校長となる。明治40年(1907年)、同校が東北帝国大学農科大学に昇格して学長に就任。さらに大正7年(1918年)、北海道帝国大学発足と同時に初代総長となる。帝国大学の昇格に尽力し、「北大育ての親」と言われる。
その隣には、「大志を抱いて」と書いてある碑があり、その裏面には「北海道大学予科練記念碑」2004年6月建立と書かれてあった。説明板には次のとおり記載。
【北海道大学予科練記念碑】
北海道大学予科は、1907(明治40)年、札幌農学校が東北帝國大学農科大學に昇格したときにその大學予科として発足。学年定員は100名、生徒は三年間の在学ののちに本科(農科大學)の各学科に進んだ。札幌農学校の校章であった桜星章が引き継がれて予科の帽章となる。翌年、校舎が現北大事務局の位置に落成した。
1918(大正7)年、北海道帝國大學の発足によりその予科となる。第二次世界大戦後の1947(昭和22)年には帝國大学の呼称廃止により北海道大學予科となり、新制大学の発足に伴い、1950(昭和25年)に予科は43年の歴史を閉じた。学年定員は1941(昭和16)年以降400名、閉校までに11100余名がここで学んだ。
この北海道大学予科記念碑は、札幌農学校からひきつがれた予科の伝統と足跡を記念し、あわせて北海道大学の大いなる発展を記念して、かつての予科生と多くの有志の醵金によって建立された。
その後、北大の北側を走り、遺跡保存庭園へ。森の中の窪みは、かつてのアイヌの方々の住まいのチセがあったところらしい。
【遺跡保存庭園】北区歴史と文化の八十八選のうち20
かつて、この一帯は多数のメム(アイヌ語で湧泉池)が存在し、漁猟基地であった。この一帯に深さ50センチ程度、直径5~8メートルほどの竪穴式住居址が30か所以上ある。
【遺跡保存庭園(説明板)】
北大構内にはサクシュコト二川を中心としてその両岸に古代の竪穴住居跡が多数残っている。明治年間の絵地図にも、無数の竪穴住居跡を示す地面のくぼみが描かれている。しかし、現在はその殆どが完全に埋まり、地表からでは見えなくなっている。ここの自然林の中には、竪穴住居のくぼみがまだ三十カ所ほど残っており、往時の状況をしのぶことができる。この地点の遺跡は、昭和27年に一部が調査され、古代の村落であることつきとめられた。 また、昭和55年から継続実施されている埋蔵文化財調査で、これらの村落跡は奈良時代末から平安時代にかけてのものであることが判明した。 北海道大学では、この貴重な遺跡を保存するために整備し、一般に公開することになった。
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