第2回函館マラソン

フルマラソン

平成29年(2027)7月2日(日) 第2回函館マラソン(フル)
0~ 5km 0:27:56
5~10km 0:26:57
10~15km 0:26:56
15~20km 0:26:45
20~25km 0:26:09
25~30km 0:28:02
30~35km 0:30:54
35~40km 0:34:27
40~GOAL 0:14:24
記録 4:03:16(ネットタイム 4:02:31)総合順位 728位(部門順位189位)

【昨年】
記録 4:21:39(ネットタイム4:20:01)
総合順位 1546位 部門順位418位   

 昨年度に引き続き、函館マラソン(フル)に参加。今年は前日に、アルコール接種を我慢して参戦。しかし、美瑛ヘルシーマラソンの時の肉離れで練習不足なのが心配だ。

 スタート前に千代岱競技場周辺を散策すると、球聖「久慈次郎」の碑があった。ネットで調べると1897~1939年、盛岡中学から早稲田大学、そして北海道初の社会人野球の名門「函館大洋倶楽部」に入り、他の追従を許さぬ名捕手、バッターとして君臨。昭和6年と9年に来日した日米野球大会では、全日本チームの保守兼主将として選抜され、特に9年はベーブルースやゲーリックなど大リーグの伝説的な巨人を相手に、若き沢村やスタルヒンらをリードしたという。この時の全日本チームが母体となって大日本野球倶楽部、後の東京巨人が誕生するそうな。もちろん久慈も参加を要請された、しかも主将として要請されたが、大火で復旧のめどがつかない函館を去ることはできなかったという。
 その後、函館市会議員になったが、昭和14年8月19日に、札幌倶楽部との対戦で、久慈が敬遠され1塁に歩こうとした際に、捕手が2塁に投げようとした牽制球が右こめかみに直撃し、永眠。42歳であったという。

 久慈次郎の碑で、函館の歴史にしばし浸った後、スタート地点に向かう。天気予報はくもりであるが、今日の函館は蒸し暑い。さて、スタートである。今年も高校時代を過ごした函館の街を撮りながら走ることにする。
 スタートして直後は、テーオーデパートや共愛会病院など本町周辺を走り、その後、人見通から、自衛隊の函館駐屯地、競輪場を横目に走り、左折して漁火通りに入るとすぐに湯の川温泉街。湯の川温泉街を過ぎて、函館空港への道を登り下りで往復し、左折して旧戸井線の道を走り、志海苔館を過ぎて折り返す。そこから、また漁火通に戻り、函館山方面に向かう。啄木小公園あたりでタレント「西谷綾子」さんに追いつく。やはり長身でスタイルが良い。どこかで見たことがあると思ったら、TBS系の日曜日の夜7時に放映されているピラミッドダービーによく出ているタレントだ。ピラミッドダービーの「西谷さんですか?」と話しかけたら、笑顔で答えてくれて、写真もOKしてくれた。西谷さんと、しばらく並走したが、谷地頭電停付近の登り下りで置いて行かれてしまった。あとで振り返ると、この辺から自分のペースが落ちてきたためである。
 谷地頭を折り返し、亀田川を遡上し、跨線橋とともえ大橋に向かう。微妙なアップダウンがあり、そして、暑くなり、体がきつくなってきた。昨年同様、ここから大幅にペースダウン。ともえ大橋を過ぎ、赤レンガ倉庫群、ドック前電停で引き返し、緑の島で少し休憩。ここではメロン、塩ラーメンなどの豪華なエイドであったが、メロンしか胃が受け付けなかった。
 引き返しのともえ大橋からはさらにペースダウンし、歩かないのがやっと。後半の35km以降は、1km当たり7分もかかってようやくゴール。
 それでも中盤で稼いだのかきいたのか、昨年より15分以上早い、4時間3分であった。練習不足であったが、前日に飲酒しなかったのがよかったのか。

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