事比羅神社・アレウト号慰霊碑・延命寺地蔵尊

説明板

平成24年(2012)4月28日(土) 12時頃~14時頃 立象山展望台~瀬棚区元浦(マーレ旭丸)~北檜山区の家

 家族が単身先の家に来たので観光しがてら、立象山展望台へ。そこから一人になり、瀬棚区の海岸を北上し、旭丸の売店まで行き、そこから引き返し、家まで帰りました。

【事比羅神社】北海道久遠郡せたな町瀬棚区三本杉34-1
 瀬棚郡草創の神社と思われますが完成年月はさだかではありません。松前郡福山唐津町平田与三右ヱ門が、1839(天保9)年に再建していることから、それ以前に豊漁と海上祈願のため、小さな祠を建て祭っていたものと考えられています。例年9月9~10日、事比羅神社例大祭が開催されます。

【アウレト号慰霊碑】
 1877年(明治10年)11月19日、ニコライエフスクからウラジオストックに向け航行中のロシア軍艦アレウト号は、暴風雪に押し流され瀬棚海岸で座礁、艦長セルゲイ・クラーシエニンコフ以下60名の乗組員は住民の協力で全員救助された。
 その後、 艦内残置物資の陸揚げと保管のため士官2名、水兵13名が残留越冬し、翌1878年(明治11年)4月29日、本国引き揚げの軍艦エルマック号が到着したが、短艇が転覆し12名の犠牲者を出す。
 うち8名の遺骨が故国はるかに望む瀬棚区の三本杉の丘に埋葬されている。この碑は、アレウト号乗組員12名の冥福を祈るとともに、国際親善と海難事故防止の願いを込め、1972年(昭和47年)建立されたものである。

【延命寺地蔵尊】
 瀬棚区三本杉にある延命寺の奥の院に安置されている『しなの木地蔵尊』は、文政年間に某漁師が夢の暗示によってしなの大木より発見し、庵を建て祭祠し、地蔵堂と名付けた。
 当時この地域には神社仏閣はなく、また医療施設もなく、この地蔵堂は神仏医の三役を兼ねて繁昌したという。函館毎日新聞が道南5霊場を募集した際に3位となり、当時の北海道長官佐上信一氏より贈られた「道南霊場」の献額があります。
 以来7月24日に大祭を行い、三本杉海岸より灯籠流しなどの行事が行われています。 

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