余市町の史跡

古墳・ストーンサークル・墓所

平成24年(2012)6月9日(土)12:00頃~15:00頃
余市駅裏~西崎山ストーンサークル~フゴッペ洞窟~旧下余市運上家~旧余市福原漁場~よいち水産博物館~余市駅裏

 帰省の帰りがてらランニングをしようと思い、当初は黒松内のフットパスを走ろうと思ったが、当地は雨で断念。小樽方面に走ってみると余市は晴れているではないか。しかも結構暑い。道の駅、スペースアップルで観光マップをもらうと結構見るところがある。市の中心地から約6km離れたところに西崎山ストーンサークルもある。これは走ってみようということで、予定変更。
 この街は、利尻岳、羊蹄山、駒ヶ岳のレイライン上に位置し、ストーンサークルが数多くあり、そのうちの西崎山には着たことがなかったので、思わずラッキー。フゴッペ洞窟では、古代の人が洞窟に書いた絵がありましたが、人に羽が生えている絵などがあった。また、この地は、昔のニシンの漁場で栄えた町であり、その名残が残る歴史をおもわず堪能しました。 

【西崎山環状列石】
 西崎山環状列石。標高70mの山の上に、このように石が並んでる。上からは海がよく見え景色がよい。古代の人はどのような目的でこのように石を積んだのだろうか?以下、ネットより。
 余市町と小樽市の境界となる西崎山の尾根には環状列石(ストーンサークル)と呼ばれる人頭大や幼児の頭ほどの石を円形に並べ、中心に棒状の石を立てた特殊な遺構が見られます。
 配石の間からは、縄文時代後期中頃の土器が出るとともに、配石の下にも直径50cm、深さ70cmほどの穴があり、中からは燐分が検出されているため、この穴は遺体を埋葬した墓と考えられます。
 1区は北海道指定史跡となっています。2区は3基の配石が調査され、尾根の3区は3つの群をなす配石があります。尾根先端の4区は5基の配石があります。

 次にフゴッペ洞窟に向かう。立派な施設だ。汗だくで入っていったら、受付のお姉ちゃんに笑われた。右の写真はよいち水産博物館で移した洞窟内部の写真だが、人に羽の生えたような彫り物がある。想像でこのようなものを書いたとは考えられず、古代にはこのような飛行機のようなものがあったとするのが、普通の考えと思うのだが。以下、ネット。
【フゴッペ洞窟】
 岩壁に刻画を残す洞窟遺跡は小樽市手宮洞窟と共に現在日本国内において対比されるものがありません。200を超す刻画があり、人が仮装したようなものから舟、魚、海獣、4本足の動物のようなものがあります。角や翼で仮装した人像が多く、これはシャーマンを表したものと推察され、何らかの宗教的儀礼の場であったのではないかと考えられています。洞窟は堆積土層から発見された土器や骨角器の分析から、およそ2000~1500年前の続縄文期に属する遺跡であることがわかっており、各国から学者や研究者も訪れています。

 次に旧下余市運上家に向かう。江戸時代に和人がアイヌとあくどい交易でぼろ儲けしていた拠点。ところどころに人形があり怖い。以下、ネット。

【旧下余市運上家】
 運上家は江戸時代、松前藩が行っていたアイヌ民族との交易を請け負った商人が経営の拠点とした建物です。旧下ヨイチ運上家は、現存する唯一の運上家であり、切妻平入の長大な石置屋根、格子窓、紙障子戸は北陸の漁家建築と同じ系統のデザインです。内部の空間は広く、板張りのダイドコロから見上げた柱や梁は太く、その多くの部材が当時のものをそのまま使用しています。間口40メートル、奥行16メートル、建築面積540平方メートル、使用した木材量は213立方メートルに及びます。廊下の両側に配置される座敷では場所請負人によって派遣された支配人や松前藩士の風俗人形が展示されています。

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