別海町西春別

廃線・廃駅

別海町(西春別駅前~泉川~光進)

平成30年(2018)11月17日(土) 26.6km 3時間43分
 
 大分寒くなってきたが、吉方の西春別、特に泉川と光進を訪問したことがなかったので、走りに行く。別海町の農家地図をコピーし、持参して走ることに、これは農家の場所で自分がどこを走っているのがわかるので便利なのだ。
 11時頃に車を西春別駅前の鉄道公園に停めて出発。

 道道830号線を泉川方面に進む。天気は曇であるが、時折日も差す。しかし、気温は5度程度なので寒い。ウインドブレーカーを持ってきてよかったが、ネックウォーマーを忘れた。
 10kmほどで泉川会館と泉川神社に到着。周囲に人家はない。昔は人家はあったのだろうと思いながら開拓50周年の碑があり、読みながらしばらく佇む。

【転載はじめ】
碑文
 終戦後広大な未開墾地を包含する別海町は、政府の緊急開発計画により入植者募集するに至る 国内は元より海外領土から引揚者が西春別と泉川の一角に昭和24年より入植し開拓の初鍬に始まる あらゆる苦難に耐え茨の路を切り開き一大酪農の隆盛を見る此処に半世紀偉大な先駆者の尊い労苦に対し深甚なる感謝の誠を捧げ更に未来へ限りなき発展と倖を希求する ここに泉川開拓50周年を迎えるに当たり此の記念碑を建立する
                        平成11年9月吉日
                        泉川開拓50周年記念実行委員会
【転載終了】

 次に北西、虹別方面に方向を変え、しばらく進む。開発局が建設する工事中の肥培灌漑施設・スラリータンクが見えてきた。さらに国道方面に右折してすぐに光進小中学校が見えてきて、その向かいに光進神社が見えてきた。神社手前に、開拓30周年の碑文があった。

【転載はじめ】
 碑文 光進部落開基30周年記念実行委員会
 此の地はもと風連地区と云い軍馬補充部川上支部として2才駒の放牧場であった 周囲は高さ2米程の土塁で囲われ牧区の中には楢柏ハン白樺等広葉樹の密生地で羆の生息地であった このような原始林に灯が点ったのは昭和23年3月 敗戦の混乱期に光進開拓の父中村幸次郎先生ひきいる若き開拓者である 彼等の多くは満州大陸から或いはシベリヤの大地より引き上げてきた18才から24才迄の若者達で第二の故郷を求め原始の森に挑む 以後各府県より多数の開拓者が入植 昭和26年小学校を設立 光進校と命名 部落名も光進と称する
 元来此の地は立木が多く開墾は遅々として進まずすべての人々は炭焼きにて生計を立てる 然るに酪農の始まりは遅く昭和30年以後で其の夜話は郷土史風連川源流を拓くに記す 更に開拓の志半ばにして他界された人々を忘れてはならない 現在戸数60余戸乳牛頭数3000頭を有する酪農郷となる 滋に開基30周年を記念に後世に残すべく此の碑を建立す
                       昭和53年9月吉日建立
【転載終了】

 ここの神社の横には墓地があった。さらに少し奥に行くとガイアの夜明けで有名なちえのわ事業協同組合の代表の島崎牧場があった。
 西春別の開拓の歴史でおなか一杯であり、国道に戻り、西春別駅前公園に戻る。鉄道記念館を訪問すると、今日訪問した泉川と光進にも標津線の駅があったことがわかり、少し感動して家路につく。

コメント