北斗市戸切地陣屋

戦跡・古戦場

平成24年(2012)9月22日(土) 北斗市(旧上磯体育館~上磯市街(種田家・有川神社)~一本木(一本木稲荷神社)~千代田(千代田稲荷神社・藤田市五郎翁碑)~旧大野町市街(光明寺・意富比神社)~観音山(144m)~文月(法亀寺・文月地蔵堂)~戸切地陣屋跡~清川~旧上磯体育館) 11:00~15:00頃

【戸切地陣屋跡】
 安政元年(1854年)神奈川条約締結後、幕府は外国船渡来により不測の変に備えて翌2年津軽・南部・仙台・秋田・松前の五藩に分担警備させ、蝦夷地防衛の強化を図った。松前藩は七重浜から木古内までを分担し、その陣屋として、この戸切地陣屋を構築した。基本は蘭学の築城書による四稜堡で、大砲六門を据え、宿舎二十二棟を建て、備頭竹田作郎忠憲以下一隊の兵を駐屯させたが、漸次士卒の家族を移して守備のかたわら附近の開拓に従事させ、屯田のかたちをとった。明治元年箱館戦争の際、駐屯の松前軍は陣屋を自焼して退いた。この陣屋は保存極めてよく、幕末における近辺の国際情勢を窺うによく、且つ西欧風の影響を知る資料として、築城史上価値ある史跡である。(表御門にある説明板より)
 この陣屋は1855年(安政2年)幕府に命じられて松前藩が築いたものです。構造は四稜郭で、完成から13年後の1868年(明治元年)箱館戦争の時、旧幕府軍に陣屋が使われないよう自ら建物に火を付け焼き払ってしまいました。この陣屋は、1965年3月18日、国の指定史跡となりました。(裏御門にある説明板より)

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