新ひだか町静内御園地区・豊畑地区(ルイオピラチャシ跡、オチリシチャシ跡)
御園館~豊畑地区(ルイオピラチャシ跡)~御園共同墓地(オチリシチャシ跡)
令和2年(2020)11月23日(月祝)15.6km 2時間9分
吉方のチャシ訪問ランニング。雪が降らない新ひだか町静内のチャシを巡ることにする。朝6時30分に札幌を出ると雪景色。千歳まで雪が降っていたが、苫小牧から雪がやんできて、新冠町まで来ると晴れてきた。
二十間道路を通り、御園に降りて御園館に車を停めて豊畑方面に走り始める。チャンピオンファーム、ノルマンディーファームを過ぎて左折する。酪農家が一軒あって、そこを過ぎて町有林の入口に「ホイナシリチャシ」の説明板があった。チャシ自体はここから450m進んだところにありさらに進む。どの辺かわからないが、家があったので断わろうとするが住んでいる気配はない。牧柵沿いに草を踏み固めた跡があるので進むと、送電線の塔の下にチャシはあった。静内川の河岸段丘の縁に位置している。
【ルイオピラチャシ】
・城 跡 名:ルイオピラチャシ
・所 在 地:北海道日高郡新ひだか町静内豊畑1000-1
マップコート697 573 748*04
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形 態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状1条)
・説明板:ルイオピラチャシ跡(平成9年12月2日指定)
チャシは、アイヌの砦、あるいは儀式の場所といわれ、アイヌ文化を研究するうえで重要な遺跡です。海や川などに面した眺めの良い丘や崖上に、1~数本の溝を掘って築かれています。
ルイオピラとは、アイヌ語で「砥石にする岩がある崖」を意味します。アイヌの人たちは、ルイオピラチャシの脇に流れる小沢をルイオナイ「砥石がある沢(川)」と呼んでいたようです。チャシの周辺には、砥石に使われる石がたくさんあったのでしょうか。
←この先450mにあります。平成10年7月新ひだか町
ルイオピラチャシを後にしてきた道を戻る。御園に戻り北上して、道が二股に分かれるところに御園共同墓地がある。シカ柵を潜り抜け墓地に入るとオチリシチャシの説明板があり、チャシの空壕があった。まさにチャシのところに墓地が立地している。
【オチリシチャシ】
・城 跡 名:オチリシチャシ
・所 在 地:北海道日高郡新ひだか町静内農屋244-4
マップコート697 602 306*32
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形 態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状2条)
・説明板:オチリシチャシ跡(平成9年12月2日指定)
チャシは、アイヌの砦、あるいは儀式の場所といわれ、アイヌ文化を研究するうえで重要な遺跡です。海や川などに面した眺めの良い丘や崖上に、1~数本の溝を掘って築かれています。
オチリシチャシは、17世紀、静内川上流に勢力を誇ったハエのオニビシのチャシといわれています。オニビシは静内川を舞台に、下流を勢力を誇るシャクシャインと争い、最後にはメナチャシで討ち取られたと伝えられています。
←この先15mにあります。平成10年7月新ひだか町
オチリシチャシを後にし、放牧している馬と戯れたあと御園に戻り、新冠でラーメンを食べ、レコードの湯でお風呂に入った後、札幌に戻る。
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