金沢市の史跡

城郭・チャシ

石川県金沢市
 金沢駅前~金沢城惣構址~尾山神社~金沢城~尾崎神社
 
 令和2年(2020)11月19日(木)4.3km 44分

 金沢競馬場に出張。朝に時間ができたので、金沢駅前のホテルから金沢城まで走ることにする。城下町は道がくねってわかりずらい。走り始めてすぐに金沢城惣構址が出てきた。壮大な堤の痕跡である。

【金沢城惣構址】
  惣構は、城を中心とした城下町を囲い込んだ堀(ほり)や、堀の城側に土を盛り上げて造った土居(どい)などの防御施設のことである。金沢城下町には、慶長4年(1599年)に造られた「内惣構」と慶長15年(1610年)に造られた「外惣構」が二重に巡っている。
 造成時の堀は深いところで約5メートルもあったとされ、土居は堀底から最大9メートルの高さを測ったといわれている。明治時代以降、防御線としての機能が失われたため、大部分の土居は堀の埋土として使用されて消失した。堀部分は、かつてより幅が狭まって用水として使われている。
 内外惣構は、金沢城から見て東西に分かれているため、それぞれ「東内惣構」・「西内惣構」・「東外惣構」・「西外惣構」と呼ばれ、その延長は約9キロメートルを測る。 西内惣構跡宮内橋詰(くないばしづめ)遺構は、堀と土居の関係が良好に残る数少ない地点である。かつては幅10メートルあったともいわれる堀は埋め立てられて現在堀幅は約4メートル、深さは約3メートルとなっているが、堀の城側には高さ約2メートルの土居が残っており、堀底からの高さは約5メートルを測る。400年前の築造当時の姿ではないが、往時の惣構を後世に語り継ぐ貴重な遺構である。

 さらに進むと近江町市場を過ぎ、左手にお城のお堀と石垣が見えてきたので、小路に入ると右手に尾山神社である。お城に入る前に尾山神社にお参りすることにする。何とこの神社は前田利家公とお松の方が祀られていたのだ。

【尾山神社】
 慶長4年(1599)閏3月3日、利家公が薨去します。その後、二代利長公は、利家公を仰ぎ神として祀ろうとしました。しかし、当時、前田家は、なんといっても外様大名の立場です。徳川幕府の許可なくして、勝手なことはできません。利長公とて、徳川幕府をはばかり、公然と神社創建に踏み切ることができませんでした。そこで利長公は、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。これが、卯辰八幡宮です。むろん藩あげて、厚く祭儀を執り行い、尊崇しました。ちなみに、物部八幡宮は、もと東海老坂村の鎮座です。利長公が、越中国の守山城におられたとき、守護神としていました。榊葉神明宮は、もと越中国阿尾の鎮座です。>加賀藩祖前田利家公と正室お松の方を祀るさて、廃藩置県後、旧加賀藩士等は祭祀を継続し、利家公の功績を不朽に伝えんと、明治6年旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築しました。尾山神社と称して、郷社に列せられます。翌明治7年には県社に昇格、そののち明治35年には別格官幣社に列せられました。また、平成10年には正室であるお松の方も合祀されました。廃藩後、旧藩士たちは禄を離れて、必ずしもその生活は楽ではなかったはずです。それにしては、素晴らしい雄大な社殿を造営したものと感嘆いたします。これもひとえに、利家公の神威の然らしめるところ、前田家三百年の仁政があればこそです。利家公を敬慕し、仁政に浴した士民が、こぞって忠誠と感謝のまごころを捧げてきた結果でしょう。戦後は神社社格制度が廃止され、現在は神社本庁の別表神社になっています。今では金沢市の総社的神社として崇敬されるにいたり、市民の心の故郷として親しまれています。

 尾山神社から木の橋を渡って金沢城址に入る。石垣が数多く構築されている。さすが100万石の大名のお城だ。天守閣はない。1602年の落雷で焼失したそうだ。時間があればもう少し散策したいところだが引き返さなければならない。

【金沢城】
  金沢城は、1580年加賀一向一揆の拠点だった金沢御堂を、織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いたことが始まりです。1583年、加賀支配の拠点として近世城郭の形に改修したのが、加賀百万石の祖である前田利家です。天守は1602年の落雷により焼失。その後再建されることがなく、形状についても記録が残っていないため残念ながらその姿は不明のままです。明治14年に焼失した五十間長屋、菱櫓などが平成13年に再建され、城のシンボルとして多くの観光客を魅了しています

 お城の黒門を出ると尾崎神社があった。ここをお参りすると徳川の葵の御紋が掘られている。

【尾崎神社】
尾崎神社(おざきじんじゃ)は、江戸時代前期の1643年に創建された神社です。加賀藩主・前田光高(まえだ みつたか)が、曽祖父の徳川家康を祀るために金沢城の北の丸に建立しました。本殿には朱塗りの彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図とも言われています。明治11年(1878年)、金沢城内に陸軍省が駐屯することになり、現在地に移設されました。
 本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀が、昭和6年(1931年)に国の重要文化財(厳密に言うと旧国宝 → 戦後に重要文化財)に指定されています。

 もう少し時間があれば、武家屋敷や兼六園なども訪問したかった。金沢はまた来たいところだ。

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