日本一長い直線道路

旅ラン

令和4年(2022)9月11日(日) 

 滝川駅~滝川市新町(空知大橋北側・直線開始)~砂川市~奈井江町~美唄市光珠内(直線終了)~美唄市峰延駅
 【うち国道12号線の直線部分は29.2km】

約36.3km 4時間53分(休憩含む)

 北海道マラソンで蓄積した走力が残っているうちに、長年走ろうと思っていた「日本一長い直線道路」にチャレンジし、完遂できたる。この道路の由来や歴史などは次のとおり。

【国道12号線と日本一長い直線道路の歴史など】
 この道路は北海道開拓と同時に設置された樺戸集治監(かばとしゅうじかん=明治初期に囚人を収容するために設置された監獄、北海道では政治犯が多く、道路開削など過酷な労働を強いられました)の囚徒によって開削工事が行なわれ、美唄川以北は明治19年に、それより南側は明治22年に開通しました。 工事の復命書に「可成(なるべく)直線路に為すを主とし」と記されていたことから、突貫工事で直線に。 当初の直線部分は、美唄市光珠内から砂川市の空知大橋手前までの27.7kmでしたが、平成2年11月の新空知大橋完成により直線区間が1.5km延長し、29.2kmになっています。  
 明治19年 道庁より、札幌‐岩見沢‐旭川‐網走‐釧路‐根室のルートが中央道路として決定され、岩見沢~旭川間が上川道路と呼ばれ、樺戸集治監の囚人らの手により道幅1.8mで開削される。
 明治22年 空知集治監の囚人らの手により道幅5.5mの道路に改修。この時、明治21年の上川道路工事復命書の中に「・・・他日不十分ノナキヨウ、ナルベク直線道路ト為スヲ主トシテ、実測ニ尽セリ」とあり、このように長い直線道路となる。
 平成2年 滝川バイパスの開通により、従来の27.7kmから29.2kmと直線道路が長くなり。鉄道で日本一長い直線のJR室蘭本線沼ノ端~白老間の28.736kmを超える直線の長さとなる。
 
 朝一でJRで滝川市に入り、滝川市内を走って直線道路の北側(空知大橋)に到着。ここまで3kmもあり少し心が折れそうになる。橋を渡ると砂川市で、赤穂浪士の大石内蔵助の像があった。砂川市街と滝川市は車で通るとすぐだが、走ると結構遠く5km程度はあったか。砂川市街を過ぎ、奈井江の奈江地区に入ると「空知集治監奈江外役所跡」の説明碑があった。この道路は囚人を働かせて作ったのだ。
 直線道路を淡々と走る続けること約16km地点の、奈井江町の道の駅「ハウスヤルビ奈井江」に到着。ここは直線道路のまだ中間地点であった。心が折れそうになり、ここでJRに乗って帰ろうかと思ったが、コンビニでコーラとパンを買って頑張る。
 奈井江町市街地に「奈井江町開拓記念碑」があった。この町は、明治22年秋から23年春にかけ植民地区画が行われ、明治23年8月に当時の滝川村より、奈江村(砂川、奈井江、上砂川)が分村し、この奈井江には駅逓が設置され街の中心部になったと書かれている。
 奈井江から美唄への道が身体が疲れてきたせいもあって、遠く感じる。茶志内地区には神社がありお参りする。その横に「開村記念碑」がある。恐らく茶志内地区の開村記念碑と思われるがが、陸軍大将従三位男爵大迫尚敏著と書かれている。そして茶志内の市街に入ると「茶志内屯田工兵隊事業場跡」があった。特に説明はないが、この辺の屯田兵は工兵隊だったと思われる。そしてその近くの小さな祠には、「下総圀佐倉大明神」の碑があった。この辺には千葉県から入植したのだろうか。そしてバス停も「兵村」という名前もあり、屯田兵の地なのだと感じる。
 そして美唄市の癸巳(きし)町にさしかかる。民家のところに「癸巳町 愛郷百歳 美唄市長瀧正著」の自然石を利用した碑があった。

【愛郷百歳の説明(概要)】
 癸巳地名の由来。癸巳とは明治26年を干支で現した名称である。明治26年屯田騎兵隊40戸の入植により癸巳町開拓の歴史は始まる。厳しい北国の大自然に耐え、前人未踏の原始林を切り開き、北門の警備と若き国土の開拓に身命を賭した先駆者の屯田兵魂、開拓者精神を受け継いだ父祖先人は、艱難辛苦とたゆまざる努力を重ね、今日の良圃、美田と癸巳町発展の礎を築いたのである。(以下、略)

 美唄市の市街を過ぎ、さらに5km程度走り、ようやく直線道路終結の地に辿り着いた。もう走りたくないと思ったが、記者の時間まで1時間程度あるので、さらに5km程度走ることにする。光珠内の市街に入ると「屯田砲兵隊移駐之地」の碑があった。名文なので、一部略して転載する。

【屯田砲兵隊移駐之地】
 北門警備と開拓の大使命を負い未踏の蝦夷地に出生地の縁者と涙の訣別をし、各県から30戸の壮者が明治26年6月10日屯田砲兵隊員として家族ともに当地に移住し千古斧鉈巨木と丈なす熊笹の群生、野獣の横行する大地に開拓の一鍬を打降した。午前は練兵、午後は開墾、腰を下ろす暇もなく働いた。日清日露の両戦役にも従軍、武勲を得て帰還した。粗衣粗食大雪酷寒暑熱の悪条件の中、風土病に苛まれる果てしない苦難夢に見る故郷帰心矢の如くなれども戦友同士戒め励まし慰め兵農両全の重責を全うした星霜八十有余年郷土は美田良圃今日の発展を見る。先人の血と汗と油の結晶に外ならない幾多先人の労苦を偲び、偉業を讃え感謝し、後世に伝えることを希求して碑を建立する。

 峰延駅にヘロヘロになりながら到着し、汽車に乗って、岩見沢経由で札幌に帰る。

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