函館市西部地区・函館山

古い建物

平成25年(2013)1月14日(日) 護国神社→函館山頂上・伊能忠敬北海道最初の測量地碑・ブラキストンの碑→(観音コース)→実行寺→山背泊→函館検疫所→高龍寺→弥生小学校
 8.1マイル(13.0km) 2:06(10:30時頃スタート)

 今日は、連休の最終日。森町の実家に寄ったあと、天気も穏やかなので、函館山を走ることに。ここは何回も走っているのだが、初めて冬の車道を登り、観音コースを下り、入舟町(旧山瀬泊)の行き止まりまで走ることに。
 しかし、函館も寂れているが、歴史は古い。

【伊能忠敬北海道最初の測量碑】
 五月二十八日 新暦七月十九日 土用 朝五つ迄曇る ?より晴天江戸出立後の上天気なり 併し山々白雲おはし箱館山に登て所々の方位を測 夜も晴 測量・・・ 寛政十二年 1800年 伊能忠敬測量日誌より

【Blakiston】碑(説明板)
 横の説明板に次のとおり記載(概略)。「ブラキストンは、1832年イギリスに生まれ、文久3年(1863)に日本での事業をおこすため来函し、事業を継続しながら鳥類を捕獲・研究、気象観測も行いました。明治12年には、箱館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を開拓使函館支庁仮博物場に寄贈しています。この雹本は、現在北大植物園・博物館に所蔵。明治16年、本州と北海道の動植物の著しい違いがあることを、アジア協会報に発表して注目され、津軽海峡が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。」

【実行寺】(説明板概要)
 明暦元年(1655)、山ノ上町(現弥生町)で清寛という僧が草庵を結んだのが始まり。元禄3年(1690)松前の日蓮宗法華寺の末寺となったが、実行寺と称するのはいつからかは明らかでない。(明治17年山梨県身延山久遠寺末寺に編入)
 少徳4年(1714)、富岡町(現弥生町)に移転し、明治12年の大火後後この地に移った。大正7年現在の建物が完成。安政元年ペリー来航時には当寺にスタジオが設けられ、そこでの写真が市民を驚かせ、翌年にはフランス軍艦シビル号が入港し、当寺が多数の疾病水兵の療養所となった。また同5年(1858)にはロシア領事館としても利用された。
 また、明治2年箱館戦争終結後、旧幕府軍脱走軍戦死者の遺体が市中に放置されたままになっていたとき、住職が任客柳川熊吉と相談して、寺に葬ったという美談も残されている。

【箱館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡】説明板概要
 明治18年、内務省は防疫体制の強化を図るため、主要6港(函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟)に日本で最初の常設消毒所を建設。箱館では現在地に施設が建てられ、唯一、事務所である建物が残っている。
 明治29年箱館検疫所と改称。昭和20年には樺太方面などからの引揚者の権益にあたった。昭和43年、検疫所は市内海岸町に落成した港湾合同庁舎に移転。唯一残っているこの事務所は、全国的にも少ない初期港湾施設の遺構である。

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