西崎山環状列石~地鎮山環状列石~忍路環状列石

古墳・ストーンサークル

令和5年(2023)5月13日(土) 

余市町道の駅~(フルーツ街道)~西崎山環状列石~地鎮山環状列石~忍路環状列石~(国道5号線)

約19.2km 2時間53分

 ただ走るだけでは面白くない。今日も吉方に移動し、見知らぬ地や史跡を訪問ランニング。
 
 今日は余市町の道の駅に車を停めて、フルーツ街道を走ってストーンサークル巡り。この地には、三つのストーンサークルが現存している。そして、この地は利尻岳と駒ケ岳をつなぐ線上に位置しているとのことだ。ネットで調べたら、岩木山や富士山にもこの直線はつながっているそうだ。不思議なものだ。この直線上にストーンサークルが立地していることは、偶然なのだろうか。

 道の駅から余市市街を走り、余市インター横からフルーツ街道をしばらく走ると、西崎山環状列石入口に到着。西崎山環状列石は、西崎山の頂上にあり、眼下にフゴッペ洞窟、遠くの海の向こうにシリパ山・岬が見える。

【西崎山環状列石】
 一、指定文化財の名称 道指定史跡 西崎山環状列石
 二、指定の年月日  昭和二十六年九月六日
 三、指定の理由 古代人の残した石造り遺構として考古学界の学術調査上重要な遺跡として認められ、北海道教育委員会より史跡文化財として指定を受けた。
 四、説明事項  環状列石(ストンサークル)直径一米程度の環をなして、自然石のやや大きいのが並んでおり現在七ケ所残っているが元はそれ以上あったものと思われその構造からみてもまた穴の中の燐分から云っても古代の墳墓であろうと推定されております。 この丘陵には4つの墓環状の列石があり立石の最大のもので、高さ約七〇~八〇糎、穴の深さ一米位穴内の土中から燐分が検出され、また敷石附近から縄文土器の破片が多数出ました。

 その後、4kmほど走り、地鎮山環状列石へ。ここも少し山登り。

【地鎮山環状列石】
 北海道指定史跡地鎮山環状列石(地鎮山ストーンサークル)
 所在地 忍路2丁目
 指定年月日 昭和25年8月28日
 管理者 小樽市
 地鎮山環状列石(地鎮山ストーンサークル)は、およそ3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。頂上(標高約50m)の平らな地点に、高さ1mほどの立石を12個使い、長径10m短径8mの楕円形区画をしています。昭和24年(1949)に行われた発掘調査では、中央付近の石を 敷き詰めた部分の下から、縦横2m、深さ1mの四角い墓穴が見つかりました。  この尾根には小規模なストーンサークルが他にも存在し、周辺にも忍路、西崎山などの ストーンサークルや忍路土場遺跡など同じ時代の遺跡が多く知られています。  なお、貴重な遺跡保護のため、柵内への立ち入りはご遠慮ください。 小樽市教育委員会

 忍路ストーンサークルは、地鎮山ストーンサークルの直ぐ近くの、農家のハウスの脇にあった。

【忍路環状列石】
国指定史跡忍路環状列石
所在地 忍路2丁目
指定年月日 昭和36年3月10日
管理者 小樽市
 忍路環状列石(ストーン・サークル)は、およそ3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。  ゆるやかな斜面を平らな面に造成し、南北33m、東西22mの楕円形に石を配置して造られています。近代になって一部手が加えられ、造られた往時とは異なっているところがありますが、隣接する忍路土場遺跡の関係から、縄文時代の生活を知ることができる重要な遺跡です。 この頃の東日本では、石を円形に敷きつめたり、あるいは石を環状に配置したお墓、いわゆるストーン・サークルが造られており、その技術と文化が北海道にも入り、その後独自の変化をとげていきます。  ストーン・サークルの用途については、各地での調査例から日常の生活空間と区別された墓地で、死者を弔う儀式も行われた場所であると考えられています。 なお、貴重な遺跡保護のため、柵内への立ち入りはご遠慮ください。小樽市教育委員会

 忍路環状列石を後にし、国道5号線経由で車に戻る。

コメント