鹿追町の史跡

廃線・廃駅

平成30年(2018)5月19日(土) 

 鹿追町道の駅~鹿追町発祥の地・クテクウシ駅逓跡~鹿追町内 約6.1km 41分

 20日の新得町の狩勝トレイルランニングに出場するため、十勝に前日入り。車中泊するために鹿追町の道の駅に車を停めて、町内を少しランニング。
 鹿追町発祥の地とクテクウシ駅逓跡まで走り、また、道の駅に戻り、町内を散策しました。小さい街だけど、広くて明るくて元気がありそうですね。

【鹿追町発祥の地】碑・・・鹿追町長吉田弘志書と書かれている。裏面の写真忘れ
【鹿追村発祥の地】碑・・・裏面の写真がぼやけているが、明治35年に開拓が入ったようだ。

鹿追町の歴史は、以下、ネットより転載。
 明治35年に山田松次郎がクテクウシ原野(現在の下市街、紅葉橋の下流付近)に入地してから20年後の大正10年4月1日に北海道告示177号により母村音更村から分村して鹿追村が誕生しました。

分村問題が起きたのは大正6年から7年にかけて加藤熊太郎、三好沢一、高田宇三郎、丸山徳太郎、森内清吉、伊藤栄一郎らの提唱によるもので、特に加藤熊太郎はその代表的な人物として活躍したと伝えられています。

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