本別町勇足

旅ラン

令和5年(2022)10月21日(土)

本別町道の駅~道道499号線~勇足~国道242号線 23km 3時間4分

 午後に時間ができたので走って、本別町内の史跡を訪問することに。本別町道の駅に車を停めて、道道499号線・勇足本別停車場線を勇足に向けて走る。チエトイ神社のところに石碑がたくさんあった。

【知恵問の里】・・・黒い石に「知恵問の里」と刻まれ、その下に「本別町長 高橋正夫」と刻まれ、裏面には次のとおり刻まれている。「碑銘の由来 チエトイと云う地名はアイヌ語に由来し、その意は「チ、我、エ、食べる、トイ、土」と訳され、入植者はそれを片仮名表記のもとに集落地名として使用してきた。明治31年開拓以来我々はその地名を誇りとし、チエトイ即ち豊穣の里として自他共に認める地位を確立誇示しているが、歴史の経過の中公的にはその名は既に失われ、通称としてのみ存在するが、遠からず消滅する状況となっている。ここに開拓百年を迎え記念碑を建立するに当たりチエトイに知恵問の字を当て、意は読む者に委ね先住アイヌ名と、開拓の偉業と不屈の闘魂を受け継ぐ、各家の系譜を刻み記録するものとする。」以下、アイヌ先住者と入植者の家系図が刻まれていた。そして各家の開拓の歴史の石碑があった。そしてよくある開拓記念碑が建立されていた。

【開拓記念碑】・・・表面には「開拓記念碑」、「河西支庁長吉村政次郎書」と刻まれ、裏面には「開拓功労者 森由次郎」のほか、氏名がたくさん刻まれている。

 少し走ると八幡神社があり、境内に石碑があった。

【開拓記念碑】・・・表面には「開拓記念碑」と刻まれ、その横に「十勝支庁長 安田貴六書」と刻まれている。裏面には「開拓功労者 明治41年入地」、「昭和33年9月15日 本別町負箙村建立」と刻まれ、氏名がたくさん刻まれている。

 13km走ってようやく勇足の市街地に到着。いつも車で横で見ている勇足大師堂を訪問。でかい標柱には「高野山真言宗密厳寺 勇足大師堂」と書かれ、その奥には人家とお寺がごちゃまぜになったような建物があった。ネットで調べても由来等はよくわからなかった。

 勇足神社も近くにあるが、疲れたので訪問せず、国道242号線を走って帰ることにする。勇足市街地の北の外れに「本別教育発祥の地」碑があった。

【本別教育発祥の地】・・・碑の表面には先のとおり刻まれている。裏面には次のとおり刻まれている。「明治32年9月利別農場管理人東條依三郎が私財を投じて鳥居粂吉所有の空小屋に私設教育所を開く 昭和52年10月建立」

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