令和4年3月18日(金)東京都港区浜松町~高輪、白金往復(荻生徂徠の墓、旧細川邸のシイ)
約5.9km 51分
東京出張中2日目の朝、宿泊先の浜松町から港区で訪問したことがない史跡を訪問。今日のランニング訪問先は、高級住宅街の高輪・白金。参考にするのは港区ホームページの史跡探訪7。
慶応大学の横を通って、桜田通りを走るとお寺が沢山ある。長松寺(浄土宗)のところに荻生徂徠の墓の説明板があった。
【荻生徂徠墓】の概要
国指定史跡。江戸時代中期の儒学者、字は茂卿(しげのり)、通称惣右衛門、号は徂徠。寛文6年(1666)館林藩邸に生れ、14歳から13年間、父方庵に従い上総国長柄郡本納村に流寓の生活を送り、独学自習し学問の基礎を築いた。元禄3年(1690)に江戸にもどり、柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義。綱吉没後、日本橋茅場町に家塾「蘐園(けんえん」を開いた。宋学を重んじ、伊藤仁斎の復古学を批判し、古文辞学を大成。その学問は経学のみでなく江戸後期の政治、経済、文学等に大きな影響を与えた。「論語徴」、「明律国字解」、「訓訳示蒙」等数多くの著書がある。将軍吉宗の諮問に応えて享保7年(1722)「政談」を幕府に献上。享保13年(1728)1月19日63歳で死去した。
次に旧細川邸に向かうが途中で「高松くすのき公園」があった。ここも細川邸だったが、後に高松宮邸となったそうだ。しばらく走り、高輪コミュニテイプラザの横に旧細川邸の「シイの木」があった。
【旧細川邸のシイ】の概要
樹高10.8m、幹回り8.13mの巨木。スダジイは別名イタジイともナガジイとも呼ばれ、福島・新潟県以南に分布するブナ科の植物。葉は長楕円形で先は尖り大きな鋸葉がある。果実は先のとがった楕円形で二年目に熟し食用になる。
肥後隈本藩細川家の下屋敷であり、元禄16年(1703)二月四日、赤穂事件の大石内蔵助良雄、吉田忠左衛門兼亮、小野寺十内秀和ら17人が切腹を命ぜられたところとして、屋敷跡は東京都指定史跡に指定されている。
そのあと「日向坂」、オーストラリア大使館、「綱の手引坂」を通って宿に帰る。
コメント