江別市の史跡

戦跡・古戦場

平成30年(2018)3月11日(日) 江別市役所~見晴台~牧場町~江別駅近辺~江別市役所 10.8km 1時間46分

 北海道大学名誉教授の青木由直氏の「江別・北広島秘境100選」に掲載されている江別市の史跡を訪問していなかったため、江別市役所に車を停めて走って向かうことに。

【旧飛行場跡】
 最初に向かったのは、見晴台にある「旧飛行場跡」。ここは木製戦闘機が飛んだ飛行場として紹介されている。第二次大戦中に王子特種製紙の系列会社の王子航空機製作所が木製戦闘機キ106を作成し、この地で試験飛行をしていたそうだ。地図とにらめっこしながらその地に到着。周囲の碁盤の目の道路ではなく、斜めになっている広い緑地帯で、おそらくこの地が旧飛行場なのだろうが、周囲は住宅地になっていて今はその面影もない。飛行場跡であることを示す標柱もあるはずだが、おそらく雪に埋もれて見当たらず、諦めて次の地に走る。

【旧町村農場跡】
 次に向かったのは牧場町の町村農場跡。ここは10年ほど前に走って訪問したことがあったのだが、その時は旧事務所が展示室になっていて見学できた。しかし、今は雪に埋もれ、展示はしていないようだ。周囲から牛舎や事務所の写真を撮るにとどめる。

【旧岡田家住宅】
 次に江別駅方面に向かい、最初に訪れたのは「旧岡田家住宅」。千歳川に並行して伸びる5条一丁目通りはかつては、江別第一の繁華街であったそうで、ここに雑穀商の岡田家や郵便局、銀行、飲み屋が立ち並んでいたそうだが、今は街はずれの寂しい街並みである。
 旧岡田家住宅を訪問すると、今はアートスペース外輪船・やきもの21の店舗になっていた。この建物は、雑穀商を営んでいた岡田家の住宅兼事務所で、昭和10年に建てられたものだそうだ。ちなみに家主だった岡田伊太郎氏は衆議院議員も務めた経歴があり、ここがかつての江別の政治・経済の舞台になっていたと感慨に浸りながら、建物の写真を撮る。

【旧北陸銀行江別支店】
 旧岡田家住宅の向かいが、旧北陸銀行江別支店跡。その楯もはカフェ&レストランバーの「OLD-e」になっている。銀行の建物とは思わないが、よくよく見ると石造り2階建てのしっかりした造りになっている。この建物は十二銀行札幌支店江別派出所として1919年に建てられ、1943年に銀行合併に伴い、北陸銀行江別支店になり、1966年に銀行としての役割を終え、建物は文化庁の登録有形文化財にもなっているそうな。

【旧江別郵便局】
 前期2施設から江別駅に向かってすぐに、赤レンガ造りの立派な2階建ての建物、旧江別郵便局が見えてくる。ここは「アートシアターどもⅣ」になっていて、レトロな雰囲気を醸し出している喫茶店になっていた。

【火薬庫】
 次に火薬庫に向かった。地図上では千歳神社の裏側であるが、神社からは行けず結構遠回りしてようやくついた。掲示板の記載を転載する。

(転載はじめ)
 火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)
 明治11年、初めて江別に屯田兵が入地し、江別・野幌兵村の配備が完了する明治19年までに、総計145戸の屯田兵が入地しました。当初、江別の屯田兵は札幌・琴似に本部を置く第一大隊に所属していましたが、明治20年に第三大隊として独立し、江別・篠津の両屯田は第一中隊、野幌屯田は第二中隊として編成されました。
 この第三大隊本部は、今の江別小学校のある萩が丘に置かれ、明治24年、江別の屯田兵が予備役に編入され、滝川に本部を置く第二大隊の配属となるまで、その役割を担いました。
 大隊本部の建物は、屯田兵の解散後移築され、他の施設に利用されていましたが、昭和9年1月失火により焼失し、現在は火薬庫だけが残されています。
 この火薬庫は、大隊本部の付属施設として明治19年頃建てられたと推定され、建築面積約15平方メートル(4.5坪)の煉瓦造平屋建の建物です。使用された煉瓦は「S」の刻印から白石の鈴木煉瓦製と思われます。建築当時は、現小学校の体育館付近にあり、周囲には土塁が盛られていました。この火薬庫は、唯一の煉瓦造りの屯田兵施設として貴重な文化財です。
(転載終了)
好天で小春日和のもと、江別で歴史を感じるランニングができた。

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