浦臼町(役場~(国道275号)~札的チャシ~晩生内1号チャシ~晩生内2号チャシ~(山側の林道)~役場)
令和2年8月2日(日)15.0km 2時間16分
鶴沼チャシを訪問した後、車を浦臼町役場に停めて国道を南下するとすぐに、浦臼町郷土資料館に到着した。この町は、坂本龍馬家一族ゆかりの町である。郷土資料館前に鉄道の動輪が展示されていた。
【説明板概要】
浦臼への入植は、明治24年に小樽・砂川間に敷設された鉄道の開業による。その後、農産物の出荷量も増え、船運や渡船を利用するのは大変だったので、石狩川右岸の鉄路敷設の請願が大正元年に始まり、大正14年に工事が決定。昭和10年に桑園から石狩沼田間111.4kmが札沼線として開通。これにより農産物や生活必需品などの物流が盛んになった。昭和32年に蒸気機関車から気動車に変わった。
【概要転載終了】
郷土資料館は新型コロナで当面閉館とのことで残念だったが、玄関越しにこの浦臼町がチャシの町として売り出していることがわかった。
□ 札的チャシ
次の目的地は札的チャシだが、古城盛衰記さんによると、国道から線路を渡ったところに看板があるはずだが、よくわからない。札的駅を過ぎて、河岸段丘が近くなってき右手に看板が見えてきた。
国道から線路を渡り、尾根の下を南下し、沢沿いの刈払い道とピンクテープを進み、急斜面を笹につかまりながら登ると、札的チャシに到着した。登った急斜面が山側の壕で、壕を渡るとチャシで、両サイドの尾根が切れ落ちている。国道の方に進むとまた壕が掘られてあった。留まっていると虫が酷いので、そうそうに戻ることにする。
古城盛衰記さん
https://sites.google.com/a/onodenkan.net/lie-dao-cheng-zhi-ji-xing/home/zha-dechashi へのリンク
家系城郭研究所さん
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/sub3-3.htm へのリンク
【城 跡 名】札的チャシ
【所 在 地】北海道樺戸郡浦臼町札的447の1
マップコード180 875 130*10
【創建年代】不明
【創 建 者】不明
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状2条
□ 晩生内1号チャシ
次に向かうのは、晩生内(おそきない)1号チャシである。ここは晩生内市街の北側の手前の旧道に入り口があるはずなので、目論み通り旧道に入り、しばらく走ると入り口看板が見えてきた。線路と水路を渡り、仮払い道を進むと尾根沿いに道があった。ここは踏み跡がしっかりとしてあり、傾斜も急ではない。案外簡単にチャシに到着した。ここも入り口に壕があった。壕を乗り越えるとここも平坦なチャシ跡で、進むと壕があった。先ほどの札的チャシと同様の構造と思われる。
古城盛衰記さん
https://sites.google.com/a/onodenkan.net/lie-dao-cheng-zhi-ji-xing/home/wan-sheng-nei1haochashi
家系城郭研究所さん
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/sub3-3.htm へのリンク
【城 跡 名】晩生内1号チャシ
【所 在 地】北海道樺戸郡浦臼町晩生内
マップコードマップコード180 875 130*10
【創建年代】不明
【創 建 者】不明
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
□ 晩生内2号チャシ
次に向かうのは晩生内2号チャシであるが、訪問した先輩サイトを見ると非常に分かりづらいところにあるそうだが、入口への看板は容易に見つかった。この道は山側の畑に行く細い道で、人家もなく熊が怖いが、ここで引き返してはもったいないので、上り坂を進んでいく。途中、チャシまで300mの看板もあり安心しながら進み、小麦の収穫後の畑に、晩生内2号チャシの看板入り口があった。先輩のサイトを参考にしながら進み、チャシの入り口に到達する。ここは刈払われておらず、踏み跡があるので進むと藪が酷くて断念した。鶴沼チャシも訪問できなかったので、ここも含めてまた、今度くることにしよう。
古城盛衰記さん
https://sites.google.com/a/onodenkan.net/lie-dao-cheng-zhi-ji-xing/home/wan-sheng-nei2haochashi へのリンク
家系城郭研究所さん
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/sub3-3.htm へのリンク
【城 跡 名】晩生内2号チャシ
【所 在 地】北海道樺戸郡浦臼町晩生内365
マップコード180 842 678*80
【創建年代】不明
【創 建 者】不明
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
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