砂川~新十津川~浦臼

古木

平成24年(2012)5月1日(火)10:30~12:30頃 砂川~新十津川~浦臼(鶴沼)

 今日はゴールデンウイークの谷間で出勤日だが、職場の配慮によりお休み。昨年のゴールデンウイークがほとんど休めなかったのを考えれば、大変ありがたい。というわけで北海道の街並みランニングであるが、今日は砂川まで特急で行き、田園地帯をランニング。暑寒別や樺戸山系、砂川の裏のこどもの国の山がよく見えました。走る風景のほとんどが水田風景。関東の町並みとは風景が違い、通り過ぎるのは車ばかり。北海道は町並みをランニング・ウオーキングする人にとって、歩道も少なくあまりやさしくないと感じる。また、街と街の間が遠い。走ると脳が活性化されて、発想が豊かになるが、遠い将来を考え、北海道を馬で旅してはどうかと発想する。これにより競馬や観光、地域も活性化するのではないかとアホなことを考えながら走る。そうこうしているうちに、二時間位走ったところで、浦臼の道の駅だったので、ここで温泉に入り、近くの鶴沼駅から帰ります。当初行くことを目論んでいた鶴沼ワイナリーは少し遠くて断念。しかし何もねえな。

【追憶樹】(概要)
 大正十三年の早春、この木は山を出た。村中の学校の綱引きロープを動員し、親綱に小綱をつけて引いた。児童数500、五年生以上は綱にすがり、四年生以下は雪道を踏み固めた。地域住民は総出。昭和4年、校舎新築のため少し移動、以後70余有年、深くこの地に根付いて微動だにしない。この木を仰いで花月の子は育った。ものは言わずとも慈愛のまなざしは深い。ふるさとを訪れる人はこの木に会いに来る。老樹の風格が出て、それでも初夏にはわずかに新芽を吹く。老松になほ天をさす若緑 ゆずる

【樺戸川駅逓所跡】
 「積治?」と刻まれ、その下に次のとおり刻まれている。「浦臼先住者為青木六蔵氏贈之 大正九年??一同」

【森川翁頌徳碑】
 表面に上記のとおり刻まれ、裏面には次のとおりの概要のとおり刻まれていた。「故森川鹿助翁は明治7年6月8日徳島県那賀郡羽浦村に生まれ明治25年4月19日家族と共に黄臼内に移住す25歳にて分家商業に専念土地購入に努力以来村議会議員在職18年浦臼雨水利組合町鶴沼消防組初代組頭として努力せり 昭和23年自作農特別措置法施行により全小作農民解放し72歳にて死去す依って解放者一同相謀り翁の功績を讃え記念碑を建設 昭和31年4月8日

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